チャイコフスキーの生涯をわかりやすくまとめた

チャイコフスキーの生涯をわかりやすく解説します。

チャイコフスキーの史上最大の業績とは?

チャイコフスキーがした史上最大の業績

 

チャイコフスキー

ロシア音楽界でさまざまなナンバーワンの座を得ていて、

 

ロシアで初の本格的なピアノソナタ「グランド・ソナタ

 

 

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ロシアで初の本格的な交響曲

 

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そのほかにも、

ロシア音楽を一流の音楽にまで育て上げました。

 

 

 

 

 そのなかでも、

古今東西まれに見る働きをしています。

 

それがバレエ音楽のジャンルです。

 

 

バレエ音楽でのすごすぎる実績

 

 

バレエ音楽チャイコフスキー

 

生涯に3つしか書かず、

 

その3つが全てチャイコフスキー史上の傑作で、

 

さらに3つがそのまま世界3大バレエになる、

 

 

という歴史上ほかにないような業績を残した分野です。

 

 

 

 

彼自身の音楽性は、当時からものすごい評価されていましたが、

 

 

バレエ踊りのほうがまだまだ技術が未発達だったのと、

聴衆の意識がまだ古いバレエにあったために

 

なかなか理解されませんでした。

 

くるみ割り人形は、クリスマスの代名詞として、初演から親しまれてきましたが、

それでも評判がよくない時期が続きました。)

 

 

若いときに「白鳥の湖」が大不評になったことで、

ショックを受け、「もうバレエ音楽、書かん!!」と

拗ねてしまいました。

 

 

そして、もういちど勇気を出して書いてみたのが10年以上たったときで、

彼の最後の5年弱の間に書いた「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」です。

 

 

初演はそこまでヒットせず、

ちゃんと認められる前にチャイコフスキーが突然死したため、

 

 

彼がもう少し長生きしていれば、

世界5大バレエ、7大バレエといった呼び方ができて、

それらの座をすべてゲットしていたかもしれません。

 

 

 

 「白鳥の湖

 

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なつかしい土地の想い出・チャイコフスキー、メック夫人との思い出のこと?

「なつかしい土地の想い出」チャイコフスキー

「なつかしい土地の想い出」は、1878年

 

彼が、復活の年38歳のときに書いたヴァイオリンとピアノのための曲です。

 

 

このときは、スイスに滞在していて、

ヴァイオリン協奏曲を書き上げているところでした。

 

 

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「なつかしい土地の想い出」の第1楽章には、

 

ヴァイオリン協奏曲の第2楽章にするはずだった「瞑想曲」をもらってきています。

 

 

名曲の弟として誕生したといえるでしょう。

 

 

チャイコフスキーのヴァイオリン曲には

「憂鬱なセレナード」「ワルツ・スケルツォ」などがありますが、

どれも傑作として知られています。

美しいメロディがありながら、暗い影を持ち合わせた深みが特徴の曲たちです。

 

 

 

 

 

なつかしい土地ってどこ??

 

「なつかしい土地」とはどこなのか?

 

 

筆まめチャイコフスキーにしては珍しく、

彼はそれを書き残していませんし、

 

現在の研究でもどこであったかは意見がはっきりしません。

 

 

この曲はスイスからロシアに帰ってきてから完成させたので、

題名を最後につけるときに

「スイスなつかしいな~」と思ってつけたとか、

 

 

彼の大好きなウクライナに近いブライロフという田舎町があって、

 

そこはフォン・メック夫人の領地だったため、

休暇のあいだ、使わせてもらったりしました。

 

このときに曲を書いた形跡もあるので、

 

「ブライロフなつかしいな~」

そのときの思い出を思い出したとも言われています。

 

 

ミステリアスなメック夫人に関係するエピソードは珍しいので、

ファンとしては少しだけテンションがあがる曲です。

 

 

チャイコフスキー唯一のヴァイオリンとピアノ曲

 

チャイコフスキーは、

ピアノとオーケストラを得意としていたのですが、

 

一方でヴァイオリンにはそこまで突っ込んでいません。

 

 

ヴァイオリン協奏曲という代表作こそあれ、

 

 

ヴァイオリン曲自体は全部で4つしかつくっていませんし、

 

ヴァイオリンとピアノのための曲は

「なつかしい土地の思い出」だけです。

 

チャイコフスキーの充電期間

 

この曲は、自殺まで考えたチャイコフスキー激動の3年間をのりこえたあとに

書かれています。

 

そのときチャイコフスキーは田舎で休息の日々を送りました。

 

 

そして、その充電期間を経て、

のちの大仕事に取り掛かります。

 

 

 

 

 

ヴァイオリン協奏曲④チャイコフスキー・魅力と聴きどころ

「ヴァイオリン協奏曲」チャイコフスキー

一言でいうと、

時代がついていけなかった偉大な曲です。

どれくらい進んでいたかは①~③をご覧ください。

 

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チャイコフスキー

結婚生活から逃れるために、妹の家であるウクライナや、果てはスイスまで出てきていました。

 

スイスのレマン湖

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この美しい湖のほとりで、

結婚生活の苦痛から解放されながら書いたので、

 

全体的にのびやかな印象の曲です。

あんまり精神的な深みを表してるような気がしません。

 

 

この曲は

ラロの「スペイン交響曲」を聴いて、

そこからインスピレーションを得ています。

 

民族的な心や、演出上の効果に重きを置いて作曲をしたといわれています。

 

 

とはいっても、絶望からの復活という当時のこころを映すように、

非常にエネルギーにあふれた情熱的な雰囲気が持ち味の曲に仕上がりました。

 

 

彼の情熱については

「グランド・ソナタ」のほうで解説したので、

 

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今回はヴァイオリン協奏曲を音楽技術からみて解説します!

 

 

第1楽章、美しさと迫力は一品!

 

第1主題は、オペラ「カルメン」の終幕、ホセの歌うメロディを活用しています。

 

チャイコフスキーは作曲者のビゼーがだいすきでした。

 

 

そして、第2主題は、麗しい旋律。希望を感じるテーマです。

 

 

展開部に入ると、

エネルギーあふれる曲調になります。

 

 

第1主題はポロネーズのリズムを伴い、オーケストラに合わせて歯切れよく登場します。

ここで、技術的に難しいカデンツァが現れます。

 

この部分はとにかく汗握る場面です。

 

 

最後に

フルートが第1主題を奏でて、再現部に入ります。

 

 

そして、再現部では、2つの主題を華麗に壮大に表現します。

 

 

第2楽章、感傷にひたるロマンの歌

 

感傷的な第2楽章です。

 

悲しげであこがれに満ちた主要主題。

 

感情の起伏が豊かな中間部主題。

 

 

この2つの材料をもとにして、

ヴァイオリンが豊かな歌を披露します。

 

 

 

チャイコフスキーは当初、「瞑想曲」をおくことを考えていたようですが、

計画を変更し、

「瞑想曲」は「懐かしい土地の思い出」の第1楽章になります。





第3楽章、強烈な舞曲!

 

強烈なトレパック風のリズムに乗り、

情熱的な音楽が繰り広げられます。

 

技巧的にも高度なものが求められるヴァイオリンは

活気にみちた演奏を魅せます。

 

そして、最後は、激しく熱狂的なもりあがりのうちに終わります。

 

 

 

 

ヴァイオリン協奏曲③チャイコフスキー・ピアノ協奏曲と同じ運命をたどる

ヴァイオリン協奏曲の絶望からの復活

 

前回記事で、

絶望からの復活を描いたヴァイオリン協奏曲が

まさかの絶望におちいってしまう展開を描きました。

 

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チャイコフスキーはこのとき、

「わたしの想像力がうみだしたこの子(曲)は、

不幸にも望みもなく放り出される運命となった」と嘆いています。

 

 

再び絶望におとされたとき、

 

やはり曲のイメージどおり、復活をするのです。

 

 

才能を理解してくれる人はいないのか?

 

これまで、チャイコフスキーについていける才能ある人はいませんでした。

 

 

しかし、

チャイコフスキーは自信満々でした。

 

 ピアノ協奏曲第1番も

絶望から、ドイツ人指揮者に救われ、

世界デビューにまで行きつきました。

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 今回も

おなじような奇跡が起きます。

 

 

ドイツで音楽教授をしていた

ブロツキーというヴァイオリニストです。

 

ブロツキー先生はこの曲をみて、

「すごすぎる傑作だ!!」と思ったのでしょう、

なんと音楽の本場・ウィーンで演奏することを提案してくれます。

 

 

ウィーンの聴衆も理解できなかった偉大すぎる曲

 

初演はウィーンでしたが、

 

なんと初演でだれも感動せず、

「この曲はやはり本物だ!」と確信したのはブロツキー先生だけという状態でした。

 

 

あまりにも時代を先取りしていたのです。

 

 

ブロツキー先生はこのあとも必死になって演奏を続けてくれ、

 

ヨーロッパの人々も徐々にこの曲を理解していきます。

 

 

 

この評判に、さきほど「演奏不可!!」と断言したアウアーも、

チャイコフスキーに謝罪をし、この曲を演奏して広めてくれるようになります

 

 

偉大な才能は時間をかけて、人々に理解されるようになったのです。

まさに、絶望からの復活でした。

 

 

ヴァイオリン協奏曲の魅力とは?

ヴァイオリン協奏曲②チャイコフスキー・苦労の連続だった音楽

時代が追いついていかない協奏曲たち

前回記事です。

 

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チャイコフスキーの法則みたいなのがあるらしく、

 

”協奏曲はさいしょ、かならず認めてもらえない”

 

というのが言われています。

 

 

3年前につくった

ピアノ協奏曲第1番などはその一例ですよね。

 

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のちに世界中で大ヒットを記録しますが、

さいしょは、モスクワ音楽院のニコライ先生に酷評されています。

 

時代がチャイコフスキーの才能についていけていなかったのです。

 

 

 

ただ、今回、チャイコフスキー

モスクワ音楽院を辞めています!

 

38歳のとき、

フォン・メック夫人からの経済援助がシコタマ入ってきていたので、

もう教授としての仕事をしなくてよくなっていたのです。

 

 

これは、協奏曲を作曲しても

誰からも何も言われないのでは?

 

 

ヴァイオリン協奏曲も酷評・・・

 

チャイコフスキー

ヴァイオリン協奏曲を

 

当時世界トップレベルのヴァイオリニストと言われていた、

レオポルド・アウアーに見てもらうことにしました。

 

やはりヴァイオリンの才能がありますから、

チャイコフスキーの天才性に気づくでしょう。

 

 

 

評判はどうか?

 

「これはムリ!演奏不可能だよ!」

 

最悪の評価でした。

 

 

そういえば、ニコライ先生も一流のピアニストだったような・・・

チャイコフスキーに最初からついて行ける人は

もはや存在していなかったのかもしれません。

 

 

ヴァイオリン協奏曲も絶望からの復活

 

ヴァイオリン協奏曲①・チャイコフスキー、自殺未遂の体験から作曲

チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」 

チャイコフスキー

1878年、38歳までの数年間で

 

結婚→うつ→自殺未遂→音楽で復活を経験しました。

 

そして、その体験をもとに

 

ピアノソナタ「グランド・ソナタ

 

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「ヴァイオリン協奏曲」を完成させました。

 

それよりも少し前に

交響曲第4番」

「エフゲニー・オネーギン」

という傑作を完成させていて、

 

チャイコフスキーうつ病からの復活を物語っています。

 

 

俺が楽器に合わせるのではない、楽器が俺に合わせろ!

 

この曲がすごいのは、

単に楽器の特性や機能を追求したものではないところが特徴です。

 

「ヴァイオリンといったらこんな感じの曲で~」

「ヴァイオリンはこういう音型だったらひきやすくて~」

とか

 

これまでのヴァイオリン協奏曲では、

ヴァイオリンの特徴に合う曲をつくっていました。

 

 

しかし、チャイコフスキーは、

 

 

俺の音楽がヴァイオリンに合わせるのではない!

ヴァイオリンが俺に合わせろ!!

 

という人だったので、

これまでのヴァイオリン奏者にとって

ちょっと非常識な要素ももりこんでいます。

 

 

みんなのことを考えたチャイコフスキー

 

チャイコフスキーは高い音楽性を持っていましたが、

あくまで大衆のための音楽を忘れない人でした。

 

大衆的には、

けっこうあざとくてありがちなメロディが人気になりますが、

 

プロの音楽家からしたら、

気恥ずかしいかったりプライドがゆるさなかったちすることもあります。

 

 

たとえて言うなら、

まじめなクラシックファンが、

人気のアイドル曲に「音楽として認めん!」と言っているような感じですね。

 

しかし、そのヒット曲は、そのメロディで多くの人を幸せな気分にしていますし、

ちゃんと音楽としての役割を果たしています。

 

 

チャイコフスキーはそこらへんを

柔軟にとらえて作曲することを心がけていたのです。

 

 

 

ヴァイオリン協奏曲も絶望に悩まされる

 

 

ピアノソナタ「グランド・ソナタ」③・聴きたくなる!終楽章の聴きどころ

「グランド・ソナタ」終楽章の聴きどころ

 

チャイコフスキーの実体験にもとづいて書かれた、

絶望から復活のストーリーです。

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楽曲はついに終楽章に突入します。

 

第4楽章、人生を祝おう!

駆け巡るような音型で構成されるのが、第4楽章です。

 

激しく行き急いでいるようなイメージを持ちますが、

聴いているうちに徐々に本当の顔が見えてきます。

 

 

ロシア風の旋律をふんだんに盛り込み、チャイコフスキーのロシアで生きてきた人生を振りかえります。

 

そして、これまでの人生の中で、よかったことも悲惨な体験もすべて「良かった!!」とチャイコフスキーは思えるようになります。

 

自分の人生を振り返って肯定することができたとき、

人間は強い生命力を持つことができるようになります。

 

 

この激しい音楽は、

感情を爆発させて、「人生なんて、こんなもんでいいんだ!」と

開き直ったような印象を持ちます。

 

 

 

ベートーベンであれば、

苦難を乗り越えて、最後は圧倒的に勝つんだ!!

という音楽にしますが、

 

 

そこを

「開き直っちゃえ!それでいいんだよ~。わ~い、好きなだけやっちゃえ~」」

ってするところが

チャイコフスキーのこの当時の人生訓でした。

 

 

交響曲第4番と同じ発想ですね。

 

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科学的にも証明されつつあるチャイコフスキー思考

実は、この開き直りは

最近、心理学の世界でうつ病にならないようにするための思考法として

紹介されることがよくあります。

 

アドラー心理学の「嫌われる勇気」などはその好例です。

 

詳しい説明はまた今度しますが、

チャイコフスキーのたどり着いた答えは

案外、現代社会を先取りしていたのかもしれません。

 

 

ベートーベンのようなカッコよさはないですが、

現代社会にはチャイコフスキー思考があうようです。