チャイコフスキーの生涯をわかりやすくまとめた

チャイコフスキーの生涯をわかりやすく解説します。

チャイコフスキーかドヴォルザークか~クラシック音楽初心者の選択

音楽家の比較がいま面白い!

 

クラシック音楽CDをきくときに、どの作曲家を選ぶかで、

その後の自分のスタンスだったり、音楽に対するイメージがガラッと変わったりします。

 

私的には、たとえば

モーツァルトは天上界の音楽。

神様みたいなゴッドな存在とか、「あ、エンジェルがたわむれてるね^^~」

みたいな別天地を描いてます。

 

 

対照的に、

ベートーベンの楽曲の多くは、人間の心の奥深くにあるもの。

喜・怒・哀・楽とか、愛とか恋とか、

そういったひとつひとつの感情を

ていねいにていねいに

解きほぐして、かき集めて、

人間ってこんなすばらしい存在なんだよ~って

教えてくれます。

 

 

ちょっとまわりくどい表現でしたけど、

適当にいってしまうと、

 

モーツァルト新興宗教の教祖だとしたら、

ベートーベンは自己啓発の大家みたいな

(いや、スケール違い過ぎるけども)

スタンスとかが微妙に違ってきますよね

 

あ、ちゃんとたとえると、

 

モーツァルトが、、、ブッダで。

ベートーベンにあたるのがニュートンとかアインシュタイン

とか言ったら、二人の特色の違いっていうのがわかるでしょうか。

 

 

 

(ほんと冒涜以外のなにものでもないよくわからないたとえだった)

 

 

 

うん、もうここまで大作曲家を批評したら、怖くない。

 

 

チャイコフスキードヴォルザークか 

 

今日は、初心者におなじみ

チャイコフスキードヴォルザークを比べてみます。

 

 

なぜ初心者におなじみかというと、

「メロディが親しみやすいし、キャッチ―だから」です。

 

 

 

チェコ音楽って日本人の感覚にすごいマッチしてるんですって。

で、ドヴォルザークチェコの音楽に一応分類されてます!

 

 

さらにチャイコフスキーはファンタジックな曲作りの名人と言われていて、

映画のワンシーンを思わせる曲を多く残しています。

 

 

 

で、この二人の曲が私にはどう聞こえているかというと

 

「こういう女子いそうだな~・・・」

 

 

チャイコさまは、めちゃくちゃあざとい。笑

 

「ねえ、こういうの好きなんでしょ?ちゃんとやったげるから。

見ててね!ね!ね!

 

ほら、すっごい気持ちよく聞けたでしょ?!!」

 

っていう感じ。

 

どういうメロディをつくれば人々が好むような音楽になるのか、熟知してます。

で、それを実際にやっちゃいます。

モーツァルトとかは、それこそ大天才ですからチャイコフスキー並みにメロディに習熟していましたが、自分の世界観とかを色濃く出さずにはいられないんです。だから、チャイコほどあざとくはならない。

 

 

一方、チャイコは、あざといと同時に、周りにけっこう気遣いする感じの性格なんですね。

 

(もちろんどの曲もチャイコらしさは含まれてますが、それでも多少のあざとさを感じることがしばしばです。一方、どうしてもたまらず、チャイコフスキーの世界が漏れ出てしまったのが交響曲第4番と第6番です。)

 

 

 

 

 

 

 

ドヴォルザークはどんなタイプかというと、

 

ド天然です。

 

自分の世界をただ突っ走って、というか、

「あ、なんかできちゃった!」っていう感じ。

でもその曲が、実は最高傑作だった。みたいな。

 

いや、実際に作曲するときは凡人の想像をこえる鍛錬を積んでいると思うんですけど、

 

それでもドヴォルザーク自身の心のなかでは、

 

 

「なんか~、こんなのおもろいかな~って思ってつくってみたら~、

けっこういけちゃってて・・・、でもみんなあんまりこういうの好きじゃないだろうな~、う~ん」

 

とか言ってたら、

 

ドカンと大ブレイク。

 

「え、まじで!これでよかったの!??」

 

まさに、モンスターコンテンツ!

 

 

とある気鋭の評論家から、「カンペキな交響曲」みたいな感じでたたえられたこの怪物は、

ぶっとんだ発想力から生まれました。

 

 

 

歴史的な事実とかを調べると、私の解釈なんてまるで違うと思います。

でも、曲を聞いた時に確かにそんな印象をおぼえたこの二人です。

 

 

 

 

あざとさの代表格は「1812年」とか「くるみ割り人形」(ソフトバンクのCDソングで「花のワルツ」が使われてます)とかありますが、

 

 

なかでも一番完成されたあざとさが、

チャイコフスキー交響曲第5番。

 

 

チャイコも、「これ、ちょっと細工感ありすぎじゃね?」

って自分の曲にドン引きした、いわくつきの曲です。

でも、案の定、人間好みに計算しつくされた細工を施したかいあって大ブレイク!

 

今では、チャイコフスキーを代表する曲となっています。

 

憎いほどにハマる1曲です。

 

 

 

次に、ド天然です。

 

 

ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より

 

ドヴォルザークも優秀な作曲家ですから、

しっかりと計算して組み立てていると思います。

 

ただ、どうしてもこれは夢中で音楽を楽しんでいるうちに、

どんどんいろんな要素が付け足されていったんじゃないかな~と思うような箇所もあります。

 

 

第4楽章に、他の楽章のメロディを組み込んでいるところなどはたしかに。

 

 

 

 

このテクニックは、交響曲に1曲としての統一性をもたせる効果があり、

使うとかなり面白い作品になるので、

優秀な作曲家の多くが挑戦をして取り入れているテクニックです。

 

 

 

けっこう難しいらしいです。

 

 

交響曲って、弁当箱かフルコースの料理にたとえられます。

 

 

第1楽章で、そこそこの腹ごなし。

 

第2楽章で、ゆっくり味わう。

 

第3楽章で、ちょっと趣向を変えて、

 

第4楽章で、メイン。

 

 

まあ、並び方とか、楽章ごとの役割は変わってきますが、

いろんな音楽をセットにして1曲の交響曲を作り上げています。

 

 

例えばの話。

 

第4楽章は鍋料理です、と。

 

ここでダシはどうするんですか?と。

 

なんと第1楽章で飲んだスープに、第2楽章で食べた鶏肉の骨の部分を浸した

特性の鶏がらスープを用意しております。

 

本日のコース料理のまとめとしてお召し上がりください!

 

 

となれば、めちゃくちゃテンションあがりますよね。

 

 

 

シンプルな例だと、

やっぱ締めの雑炊をおいしく食べるには、(終楽章)

タラ鍋をやっておくといい味が出るんだよね~(他の楽章)

 

的な効果です。

 

 

こんな組み合わせ、そうそう見つけられないし、

別々の料理を組み合わせて、もっとおいしい料理にするのも難しいです。

 

 

ドヴォルザーク交響曲第9番は、

 

いい鍋だった~!!

あ、ちょうどダシがとれたし、雑炊でもしちゃう??

おお、それなら、他にもいろんなもん入れようぜ!!

 

 

ってやっていった末に、

 

交響曲のよさを完璧に生かした曲ができてしまったように見えて

仕方がないのです。