チャイコフスキーの生涯をわかりやすくまとめた

チャイコフスキーの生涯をわかりやすく解説します。

くそマジメチャイコフスキーの面白いエピソード集

まじめな人が多い、クラシックファンにとっては

一番共感できる作曲家じゃないかな~と思います。

 

 

 

 

 

チャイコフスキーです。

ロシアの生まれです。

 

 

日本の幕末のころに生まれて、

日清戦争の前に亡くなりました。

 

 

明治維新の豪傑たちと同時代に生きた人間ですが、

 

 

どうもそういった豪傑とは

まるで正反対の気質を感じるのがこの人です。

 

 

 

 

 

 

周りにとにかくを気を使い過ぎるwww

 

 

その特徴が曲の中でもわりと伝わってきたりします。

 

 

 

チャイコフスキー

「こういった表現って、みんなどういうふうに感じるのかな~

大丈夫かな~

あ!なんか人気ないっぽい。

やばいな~、もう音楽家なんてやめたい・・・・」

 

 

 

いや、自信もてよ!!

 

って当時も周りからしたら言いたかったそうですが、

 

本人がなかなか自分に対するハードルをさげようとしない。

 

 

 

まじめすぎるんです。

 

 

同じ気を使う人でも、

モーツァルトの場合は、

「こうやったら、みんな喜ぶかな?

あ、おっけーおっけーー、なんか俺天才!!」

 

 

っていうポジティブなんですが、

 

 

チャイコフスキーは、

ネガティブすぎる。

「あーーー、みんなに人気のでる音楽書かなくっちゃ。

あー、なんか思い浮かばないよー、どうしよう。

 

あのメロディもいれなきゃ。

 

あ、でもあんまり僕のすきなようにつくりすぎると嫌われそうだから・・・」

 

とかなんとか言ってるうちに、

 

そこは大天才ですから、

 

 

 

誰もが認める名曲になってしまうんですね。

 

 

 

 

 

 

で、曲を聴くと、

とにかく聴衆を引き込むために、

ありとあらゆる工夫を凝らしてる。

 

 

チャイコフスキー自身が、

 

「これ、細工しすぎじゃね?」ってドン引きした

 

交響曲第5番とか、

 

 

 

クセになるフレーズ。

 

最後まで聞いていてよかった!!って思えるみごとな構成。

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕、こういう曲好きじゃないんだけどな~

 

でも、みんなが喜ぶようだから、一応つくってはみたんですよ~

 

いやー、ほんとね・・・・つくってるとき苦痛で苦痛で」

 

っていう、大序曲1812年とか。

 

 

 

いずれも、

歴史に名を残し過ぎる超大作になりました。

 

 

 

まわりからみたら、

あざといほどにハマる音楽をつくる作曲家です。

 

 

すごいあざとい人ほど、

 

実は、ものすごいまじめな気遣いな人かもしれませんね・・・

 

 

 

 

 

でも、そんな超がっちがちでも

音楽の世界ではのびのび自由に表現をする

名作曲家でありました。

 

 

チャイコフスキーは、

共感覚でいえば、

 

ベートーベンと似た、触覚(体)・共感覚です。

 

 

と思います。(私はそう感じます。)

 

 

 

 

チャイコフスキー交響曲では、

 

でっかい風のかたまりが何本も連なって、自分をぐいぐいと押し上げてくるような感覚をおぼえます。

あえて一言でまとめるなら、「天空への冒険」のような感じです。(すごいハショッたww)

(ここばっかりは、それぞれの感じ方のちがいです)

 

 

 

イメージ的にはそういう感じで、

 

あとで楽譜を検討してみるとそういう印象にも納得です。

 

 

チャイコフスキーの曲をみると、

 

チャイコフスキーの得意技ともいえるくらい、

 

オーケストレーション(かんたんにいうと、楽団全体のコンビネーション技みたいなイメージ)が独特です。

 

 

 

曲をだんだんと盛り上げていくときに、

 

最初は、この楽器とこの楽器の組み合わせで~

 

 

途中から、この楽器に交代して~

 

 

そのあと、この楽器が途中で加わるよ~~

 

 

~~ここから、クライマックスだ!

ここで、こういう順番で音を出していって、

 

はい!一気に全体で決める!!!!!

 

 

 

このクライマックスまでの盛り上げ方が絶妙にうまいんです。

 

どんなときも。

 

 

 

 

その得意技を駆使して、

 

音楽にどんどん厚みを加えていくわけです。

 

勝手なイメージで、

 

音楽の「3D技術」みたいな。

 

 

 

 

で、その技術が最高まで発達したのが、

 

 

チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」です。

 

 

 

 

チャイコフスキーのこれまでのどの作品に比べても、

 

圧倒的に厚みが違います。

 

最後に1回だけ繰り出せる必殺技を撃ちこんだ、といったところでしょう・

 

 

 

そして、何よりも

チャイコフスキーが最後の最後に吹っ切れて、

 

「あ、もう・・・

 

 

人気なくなってもいいや。

 

 

収入なくなってもいいや。

 

 

みんなを喜ばせなくてもいいや。

 

 

期待とか、名声とか、

 

いらんのじゃ、ボケ―――!!」

 

 

って思いながら、

 

 

最後の最後に、

 

 

自分の本当に描きたかった楽想だけを使って

描き切ったのがこの第6番です。

 

 

 

そういう捨て身の覚悟で書いた曲です。

 

 

 

チャイコフスキーは大満足でリリースするのですが、

 

実際、生きている間はまったく人気がでなかったそうです。

 

 

 

それは、あまりにも人間の奥の奥を描写しすぎてしまったからだと、

私は思うのです。

 

誰だって、自分の本当に醜い部分からは目を背けたいと思います。

 

 

 

チャイコフスキーはまじめすぎたから、

 

どうしても自分の一番醜い部分も直視してしまったんですね。

 

 

 

そして、その部分を曲に表現してしまった。

とくに、第4楽章ね。

 

 

今まで、こんなことができた作曲家、

 

 

いや、

 

まじで、

 

 

 

いません!!!!

 

 

 

 

 

普通の人間はこんなことしたくないですもん。

 

 

 

 

ただ、ほんとうのキレイは

 

 

最悪のキタナイを知らないとわからない。

 

 

 

 

この交響曲は、

 

 

 

わたしたちへの挑戦状。

 

 

 

あ~、なんかムネアツww

 

 

どこまでも憎い・あざといチャイコさま。