チャイコフスキーの生涯をわかりやすくまとめた

チャイコフスキーの生涯をわかりやすく解説します。

楽器は本物の大砲!?チャイコフスキーの『1812年』がおもしろすぎる

クラシックなのに、全米がびっくりしたド派手な演出

 

チャイコフスキー1812年

 

 

楽器として、本物の大砲をつかうように楽譜に書いてある驚きの曲なんです。

 

そして、日本で唯一大砲をもっている音楽隊、自衛隊の音楽隊が毎年、ド派手な演奏をすることで、クラシック音楽ながらも日本人に大人気の曲です。

 

 

 


第1特科隊 礼砲隊 チャイコフスキー 序曲 1812年 合同演奏

 

一言でいえば、

ロシアの作曲家チャイコフスキーが作曲した「ナポレオン率いるフランス軍の侵攻をロシアが撃退するストーリー」の曲。

 

 

世界中のどの音楽よりもストレス解消に効く!(諸説)

 

クラシック好きな人もそうでない人も楽しめる世界的な大ヒットナンバーといえますが、

 

ガツンと鳴り響く大砲の音、そして、ノリノリの勝利の歌、

聴いているだけで、

 

圧倒的な勝利を手にした感覚が味わえるのです。

 

 

これほどの爽快感を生み出せる音楽はなかなかないのではないでしょうか?

 

 

チャイコフスキーは爽快な曲を多く残していますが、

これはその中でも一級品です。

 

 

 

聴くと、圧倒的な爽快感!ヨーロッパ頂上決戦(フランス対ロシア)

 

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この曲では、

ナポレオンのロシア遠征のストーリーを描いています。

 

 

 

今から200年前に、

 

フランスの皇帝で戦争の天才といわれたナポレオンと

 

その強敵に立ち向かうロシア帝国との間で戦争が行われました。

 

 

ヨーロッパの大半を征服したナポレオンは、

怒涛の勢いでロシアに攻め込みます。

 

 

対するロシアは、ナポレオンに連戦連敗。

実力差は明らかでした。

 

しかし、ナポレオン軍の攻撃はロシアの寒さの前に衰え、

ロシア軍の大反撃により、ロシア側の大勝利に終わります。

 

 

 

最後に必ずロシアが勝つ。

そういうストーリーがわかっているんだけど、

でも、途中のフランス軍はあまりにも強く、

 

音楽を聴いているだけで手に汗握る、そして、

勝利の瞬間、何者にも変え難い爽快感があります。

 

 

わかりやすい構成

 

 

 

フランス軍が総攻撃をしかけてくる場面は

 

「フランス国歌」を織り交ぜています。

 

フランスが優勢のときは、威勢のいい迫力ある「フランス国歌」

 

一方で、そのフランス国歌が流れているところに、

本物の大砲が突然鳴り響くことがあります。

これは、ロシアが大砲を使って反撃している場面です。

 

 

こういったわかりやすい演出が特徴的です。

 

 

 

ロシアはそれに対して

さいしょ「神に祈る」・・・ロシアの教会音楽

 

とちゅう「逃げ惑う・隠れる」・・・ロシアの民衆音楽

 

「反撃」・・・コサック騎兵(ロシアが誇る最強の騎馬隊)のテーマ曲

フランス国歌が流れているさなか、つんざくように、このテーマが割って入ります。

 

といったように、いろいろな曲をわかりやすく盛り込んでいます。

 

 

最後の勝利の場面は、

一気にストレスを吹っ飛ばすような迫力満点の演出です。

 

「終盤」

 

 

①フランス国歌は最後の雄たけびを上げる。これが最後の攻撃だ。

 

②そこに打ち込まれる5発の大砲。

 

フランス軍は敗北し、逃げ散る。

 

④荘厳な音楽が流れる。神への感謝を表している。

(これは冒頭の「神様助けてください」という音楽を華やかにアレンジして演奏されています。ここに気づくと曲の統一感がわかってきて楽しくなります)

 

⑤ロシア軍の帰還

 

フランスを完全に追い払ったロシア軍に対して

勝利の歌が奏でられます。

 

先ほど、攻撃に使った大砲が今度は、祝砲に変わります。

 

歓喜を表すようになんどもなんども繰り返される祝砲。

 

 

ノリノリでド派手なシーンがひとしきり続き、

曲は終わりを迎えるのです。

 

 

あとがき

クラシック音楽の解説は、どれを見てもわかりにくいものばかりで、

結局楽しんで聞くためにはどうしたらいいの?というのがわかりません。

 

 

今回は、「チャイコフスキーの『1812年』がわかりやすい、ストレス解消になる」

っていう視点からお話をしました。

 

 

 

 

チャイコフスキーかドヴォルザークか~クラシック音楽初心者の選択

音楽家の比較がいま面白い!

 

クラシック音楽CDをきくときに、どの作曲家を選ぶかで、

その後の自分のスタンスだったり、音楽に対するイメージがガラッと変わったりします。

 

私的には、たとえば

モーツァルトは天上界の音楽。

神様みたいなゴッドな存在とか、「あ、エンジェルがたわむれてるね^^~」

みたいな別天地を描いてます。

 

 

対照的に、

ベートーベンの楽曲の多くは、人間の心の奥深くにあるもの。

喜・怒・哀・楽とか、愛とか恋とか、

そういったひとつひとつの感情を

ていねいにていねいに

解きほぐして、かき集めて、

人間ってこんなすばらしい存在なんだよ~って

教えてくれます。

 

 

ちょっとまわりくどい表現でしたけど、

適当にいってしまうと、

 

モーツァルト新興宗教の教祖だとしたら、

ベートーベンは自己啓発の大家みたいな

(いや、スケール違い過ぎるけども)

スタンスとかが微妙に違ってきますよね

 

あ、ちゃんとたとえると、

 

モーツァルトが、、、ブッダで。

ベートーベンにあたるのがニュートンとかアインシュタイン

とか言ったら、二人の特色の違いっていうのがわかるでしょうか。

 

 

 

(ほんと冒涜以外のなにものでもないよくわからないたとえだった)

 

 

 

うん、もうここまで大作曲家を批評したら、怖くない。

 

 

チャイコフスキードヴォルザークか 

 

今日は、初心者におなじみ

チャイコフスキードヴォルザークを比べてみます。

 

 

なぜ初心者におなじみかというと、

「メロディが親しみやすいし、キャッチ―だから」です。

 

 

 

チェコ音楽って日本人の感覚にすごいマッチしてるんですって。

で、ドヴォルザークチェコの音楽に一応分類されてます!

 

 

さらにチャイコフスキーはファンタジックな曲作りの名人と言われていて、

映画のワンシーンを思わせる曲を多く残しています。

 

 

 

で、この二人の曲が私にはどう聞こえているかというと

 

「こういう女子いそうだな~・・・」

 

 

チャイコさまは、めちゃくちゃあざとい。笑

 

「ねえ、こういうの好きなんでしょ?ちゃんとやったげるから。

見ててね!ね!ね!

 

ほら、すっごい気持ちよく聞けたでしょ?!!」

 

っていう感じ。

 

どういうメロディをつくれば人々が好むような音楽になるのか、熟知してます。

で、それを実際にやっちゃいます。

モーツァルトとかは、それこそ大天才ですからチャイコフスキー並みにメロディに習熟していましたが、自分の世界観とかを色濃く出さずにはいられないんです。だから、チャイコほどあざとくはならない。

 

 

一方、チャイコは、あざといと同時に、周りにけっこう気遣いする感じの性格なんですね。

 

(もちろんどの曲もチャイコらしさは含まれてますが、それでも多少のあざとさを感じることがしばしばです。一方、どうしてもたまらず、チャイコフスキーの世界が漏れ出てしまったのが交響曲第4番と第6番です。)

 

 

 

 

 

 

 

ドヴォルザークはどんなタイプかというと、

 

ド天然です。

 

自分の世界をただ突っ走って、というか、

「あ、なんかできちゃった!」っていう感じ。

でもその曲が、実は最高傑作だった。みたいな。

 

いや、実際に作曲するときは凡人の想像をこえる鍛錬を積んでいると思うんですけど、

 

それでもドヴォルザーク自身の心のなかでは、

 

 

「なんか~、こんなのおもろいかな~って思ってつくってみたら~、

けっこういけちゃってて・・・、でもみんなあんまりこういうの好きじゃないだろうな~、う~ん」

 

とか言ってたら、

 

ドカンと大ブレイク。

 

「え、まじで!これでよかったの!??」

 

まさに、モンスターコンテンツ!

 

 

とある気鋭の評論家から、「カンペキな交響曲」みたいな感じでたたえられたこの怪物は、

ぶっとんだ発想力から生まれました。

 

 

 

歴史的な事実とかを調べると、私の解釈なんてまるで違うと思います。

でも、曲を聞いた時に確かにそんな印象をおぼえたこの二人です。

 

 

 

 

あざとさの代表格は「1812年」とか「くるみ割り人形」(ソフトバンクのCDソングで「花のワルツ」が使われてます)とかありますが、

 

 

なかでも一番完成されたあざとさが、

チャイコフスキー交響曲第5番。

 

 

チャイコも、「これ、ちょっと細工感ありすぎじゃね?」

って自分の曲にドン引きした、いわくつきの曲です。

でも、案の定、人間好みに計算しつくされた細工を施したかいあって大ブレイク!

 

今では、チャイコフスキーを代表する曲となっています。

 

憎いほどにハマる1曲です。

 

 

 

次に、ド天然です。

 

 

ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より

 

ドヴォルザークも優秀な作曲家ですから、

しっかりと計算して組み立てていると思います。

 

ただ、どうしてもこれは夢中で音楽を楽しんでいるうちに、

どんどんいろんな要素が付け足されていったんじゃないかな~と思うような箇所もあります。

 

 

第4楽章に、他の楽章のメロディを組み込んでいるところなどはたしかに。

 

 

 

 

このテクニックは、交響曲に1曲としての統一性をもたせる効果があり、

使うとかなり面白い作品になるので、

優秀な作曲家の多くが挑戦をして取り入れているテクニックです。

 

 

 

けっこう難しいらしいです。

 

 

交響曲って、弁当箱かフルコースの料理にたとえられます。

 

 

第1楽章で、そこそこの腹ごなし。

 

第2楽章で、ゆっくり味わう。

 

第3楽章で、ちょっと趣向を変えて、

 

第4楽章で、メイン。

 

 

まあ、並び方とか、楽章ごとの役割は変わってきますが、

いろんな音楽をセットにして1曲の交響曲を作り上げています。

 

 

例えばの話。

 

第4楽章は鍋料理です、と。

 

ここでダシはどうするんですか?と。

 

なんと第1楽章で飲んだスープに、第2楽章で食べた鶏肉の骨の部分を浸した

特性の鶏がらスープを用意しております。

 

本日のコース料理のまとめとしてお召し上がりください!

 

 

となれば、めちゃくちゃテンションあがりますよね。

 

 

 

シンプルな例だと、

やっぱ締めの雑炊をおいしく食べるには、(終楽章)

タラ鍋をやっておくといい味が出るんだよね~(他の楽章)

 

的な効果です。

 

 

こんな組み合わせ、そうそう見つけられないし、

別々の料理を組み合わせて、もっとおいしい料理にするのも難しいです。

 

 

ドヴォルザーク交響曲第9番は、

 

いい鍋だった~!!

あ、ちょうどダシがとれたし、雑炊でもしちゃう??

おお、それなら、他にもいろんなもん入れようぜ!!

 

 

ってやっていった末に、

 

交響曲のよさを完璧に生かした曲ができてしまったように見えて

仕方がないのです。

くそマジメチャイコフスキーの面白いエピソード集

まじめな人が多い、クラシックファンにとっては

一番共感できる作曲家じゃないかな~と思います。

 

 

 

 

 

チャイコフスキーです。

ロシアの生まれです。

 

 

日本の幕末のころに生まれて、

日清戦争の前に亡くなりました。

 

 

明治維新の豪傑たちと同時代に生きた人間ですが、

 

 

どうもそういった豪傑とは

まるで正反対の気質を感じるのがこの人です。

 

 

 

 

 

 

周りにとにかくを気を使い過ぎるwww

 

 

その特徴が曲の中でもわりと伝わってきたりします。

 

 

 

チャイコフスキー

「こういった表現って、みんなどういうふうに感じるのかな~

大丈夫かな~

あ!なんか人気ないっぽい。

やばいな~、もう音楽家なんてやめたい・・・・」

 

 

 

いや、自信もてよ!!

 

って当時も周りからしたら言いたかったそうですが、

 

本人がなかなか自分に対するハードルをさげようとしない。

 

 

 

まじめすぎるんです。

 

 

同じ気を使う人でも、

モーツァルトの場合は、

「こうやったら、みんな喜ぶかな?

あ、おっけーおっけーー、なんか俺天才!!」

 

 

っていうポジティブなんですが、

 

 

チャイコフスキーは、

ネガティブすぎる。

「あーーー、みんなに人気のでる音楽書かなくっちゃ。

あー、なんか思い浮かばないよー、どうしよう。

 

あのメロディもいれなきゃ。

 

あ、でもあんまり僕のすきなようにつくりすぎると嫌われそうだから・・・」

 

とかなんとか言ってるうちに、

 

そこは大天才ですから、

 

 

 

誰もが認める名曲になってしまうんですね。

 

 

 

 

 

 

で、曲を聴くと、

とにかく聴衆を引き込むために、

ありとあらゆる工夫を凝らしてる。

 

 

チャイコフスキー自身が、

 

「これ、細工しすぎじゃね?」ってドン引きした

 

交響曲第5番とか、

 

 

 

クセになるフレーズ。

 

最後まで聞いていてよかった!!って思えるみごとな構成。

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕、こういう曲好きじゃないんだけどな~

 

でも、みんなが喜ぶようだから、一応つくってはみたんですよ~

 

いやー、ほんとね・・・・つくってるとき苦痛で苦痛で」

 

っていう、大序曲1812年とか。

 

 

 

いずれも、

歴史に名を残し過ぎる超大作になりました。

 

 

 

まわりからみたら、

あざといほどにハマる音楽をつくる作曲家です。

 

 

すごいあざとい人ほど、

 

実は、ものすごいまじめな気遣いな人かもしれませんね・・・

 

 

 

 

 

でも、そんな超がっちがちでも

音楽の世界ではのびのび自由に表現をする

名作曲家でありました。

 

 

チャイコフスキーは、

共感覚でいえば、

 

ベートーベンと似た、触覚(体)・共感覚です。

 

 

と思います。(私はそう感じます。)

 

 

 

 

チャイコフスキー交響曲では、

 

でっかい風のかたまりが何本も連なって、自分をぐいぐいと押し上げてくるような感覚をおぼえます。

あえて一言でまとめるなら、「天空への冒険」のような感じです。(すごいハショッたww)

(ここばっかりは、それぞれの感じ方のちがいです)

 

 

 

イメージ的にはそういう感じで、

 

あとで楽譜を検討してみるとそういう印象にも納得です。

 

 

チャイコフスキーの曲をみると、

 

チャイコフスキーの得意技ともいえるくらい、

 

オーケストレーション(かんたんにいうと、楽団全体のコンビネーション技みたいなイメージ)が独特です。

 

 

 

曲をだんだんと盛り上げていくときに、

 

最初は、この楽器とこの楽器の組み合わせで~

 

 

途中から、この楽器に交代して~

 

 

そのあと、この楽器が途中で加わるよ~~

 

 

~~ここから、クライマックスだ!

ここで、こういう順番で音を出していって、

 

はい!一気に全体で決める!!!!!

 

 

 

このクライマックスまでの盛り上げ方が絶妙にうまいんです。

 

どんなときも。

 

 

 

 

その得意技を駆使して、

 

音楽にどんどん厚みを加えていくわけです。

 

勝手なイメージで、

 

音楽の「3D技術」みたいな。

 

 

 

 

で、その技術が最高まで発達したのが、

 

 

チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」です。

 

 

 

 

チャイコフスキーのこれまでのどの作品に比べても、

 

圧倒的に厚みが違います。

 

最後に1回だけ繰り出せる必殺技を撃ちこんだ、といったところでしょう・

 

 

 

そして、何よりも

チャイコフスキーが最後の最後に吹っ切れて、

 

「あ、もう・・・

 

 

人気なくなってもいいや。

 

 

収入なくなってもいいや。

 

 

みんなを喜ばせなくてもいいや。

 

 

期待とか、名声とか、

 

いらんのじゃ、ボケ―――!!」

 

 

って思いながら、

 

 

最後の最後に、

 

 

自分の本当に描きたかった楽想だけを使って

描き切ったのがこの第6番です。

 

 

 

そういう捨て身の覚悟で書いた曲です。

 

 

 

チャイコフスキーは大満足でリリースするのですが、

 

実際、生きている間はまったく人気がでなかったそうです。

 

 

 

それは、あまりにも人間の奥の奥を描写しすぎてしまったからだと、

私は思うのです。

 

誰だって、自分の本当に醜い部分からは目を背けたいと思います。

 

 

 

チャイコフスキーはまじめすぎたから、

 

どうしても自分の一番醜い部分も直視してしまったんですね。

 

 

 

そして、その部分を曲に表現してしまった。

とくに、第4楽章ね。

 

 

今まで、こんなことができた作曲家、

 

 

いや、

 

まじで、

 

 

 

いません!!!!

 

 

 

 

 

普通の人間はこんなことしたくないですもん。

 

 

 

 

ただ、ほんとうのキレイは

 

 

最悪のキタナイを知らないとわからない。

 

 

 

 

この交響曲は、

 

 

 

わたしたちへの挑戦状。

 

 

 

あ~、なんかムネアツww

 

 

どこまでも憎い・あざといチャイコさま。

 

チャイコフスキーがブラームスたちと闘った人生を10分にまとめた

「ブラ―ムスもワーグナーロシア五人組も、つまらん!!」

 

ブラームスワーグナーロシア五人組も、つまらん!

 

ほんとの音楽ってやつがわかってない!!」

 

 

22歳で音楽の道に入った

青年ピョートル・チャイコフスキーはこう叫びました。

 

 

それまでの10年間、法律学生、法律官僚として過ごし、

趣味は、豪遊と浪費と旅行、

 

そのくせ引っ込み思案で内向的な性格だった彼は、

 

 

当時、ヨーロッパ的な大スターであった、

ブラームスワーグナーという大音楽家の作品に

ものたりなさを覚えていました。

 

 

しかも、チャイコフスキーが住んでいたのは、

文化的に20年くらい遅れていたド田舎・ロシアという帝国で、

 

そのなかでもさらに田舎のウクライナ地方から、

首都ペテルブルグに上京したばかりの青年にすぎませんでした。

 

 

しかし、

彼は、22歳で音楽の道にはいった10年後には、

アメリカ公演も含め、世界的な大音楽家、ロシアで間違いなくナンバーワンの音楽家に成長します。

 

 

 

なぜ、チャイコフスキーにそこまでの大飛躍できたのか?

 

その人生の秘密を探っていきたいと思います。

 

 

チャイコフスキーの音楽性

ロシア五人組よ!これが本当のロシア音楽だ!」

チャイコフスキーのなかに蓄積されたロシア民謡

 

チャイコフスキーは、26歳で作曲を始めた当初から、

かなりユニークな曲作りをする作曲家でした。

 

 

ロシア風の民謡がちりばめられた交響曲ピアノ曲を次々と発表し、

 

マジメな仲間の音楽家からは

「え?ちょっとこれまでの音楽とちがってない??」

とドン引きされたり、理解されなかったり。

 

 

一方で、

当時、音楽の中心だったドイツに対抗して、

ロシア音楽を盛り上げようとする「ロシア五人組」という人たちがいました。

 

ロシア五人組①「なんか~、もっとロシアっぽい旋律いれてこうぜ~」

 

 

②「ねえ、知ってる?チャイコフスキーっていうやつが最近出てきたらしいんだけどさ~。どうも、そいつの音楽がなかなかとんがってるらしいよ!!」

 

 

①「あ、そんなやついたんだ!でも、ま、おれらのロシア音楽にはかなわないだろうけどな」

 

 

②「まあ、そうかもしれないけどね~。でも、おれらの音楽も欠点はいくつもあるじゃん。ドイツ音楽みたいに、格式があまりしっかりしてなかったりとか・・・」

 

 

①「おい!それ言うな!!」

 

 

②「だからさ、たまには他のロシア音楽の使い手がどんなことやってるのか。

お互いに聴いて研究してもいいかな、て思うんだよね」

 

 

①「ま、そこまで言うなら・・・行くか!!」

 

 

彼らは、チャイコフスキーの楽曲を聴くことにしました。

 

~~~~

 

五人組「チャイコフスキー、まじやばい!!

 

え?ロシア音楽っぽい感じなのに、しっかりとドイツ音楽に対抗できるだけの構成力が宿ってるじゃん!!!

 

 

なにこれ!!天才????」

 

 

チャイコフスキー「いや・・・というよりも、僕はドイツ音楽みたいなしっかりとした音楽が好きで、そうしたものを追求してるだけなんだけど・・・」

 

 

五人組「たしかにそうなんだけど、でもドイツとはまた違うんだよ!どうやったの??」

 

チャイコフスキー「いや、ふつうに僕の好きな曲をつくっただけだけど・・・」

 

 

 

 

 

後世の評論家「チャイコフスキーロシア民謡を使ったのではなく、ロシアの精神で曲をつくっただけだ!」

 

 

チャイコフスキーロシア五人組の「いかにもロシア音楽!」という曲風をあんまりよく思っておらず、

ただ、ロシアの精神にもとづいた作曲を心がけました。

いわば、ドイツ音楽という伝統は大事にしつつも、そこに強力な隠し味としてロシア音楽の心を組み込みました。

 

 

それこそが、本当の音楽のあり方だと思っていたからでしょう。

 

 

ロシア近代音楽の父はグリンカという人ですが、

 

本格的なロシア近代音楽の創始者チャイコフスキーとされています。

 

 

 

 

ブラームスよ!音楽は人を幸せにするためにあるのだ!」

 

チャイコフスキーは、

当時ドイツ音楽の二大スターと言われていた

ブラームスワーグナーの後輩にあたります。

 

 

じっさいにブラームスとは会ったこともあります。

 

 

チャイコフスキーブラームス

内向的な性格や、繊細な心理描写、

人気がでてからは、社会慈善活動を積極的に行うなど、

 

似ているところが多くあるのですが

仲はよかったのでしょうか?

 

チャイコフスキー

ブラームスの音楽が有名らしいな・・・?」

 

職場であったモスクワ音楽院の同僚

「はい!そりゃ、ブラームスっていったら、ドイツの二大作曲家の一人ですし、

あのベートーベンの正当な後継者としても名高い人ですから!!

 

彼の交響曲第1番知ってます?」

 

チャイコフスキー

「ああ、たしかドイツに行ったときにプログラムで見たな~」

 

同僚

「実はあの曲、ベートーベンの『第九』に次ぐ、

ベートーベンの交響曲第10番のようだって言われてるんですって!」

 

 

チャイコフスキー

「へえ~、まあ構成力はみごとだったし、ベートーベンの交響曲第3番のような格式高くも、意外性もある、

 

それに第5番「運命」のような爽快感もみごとだ!

 

 

ただ、どうも『第九』じゃないよな~。ほんとにそう言われてるの??」

 

 

同僚

「ほんとですって!!・・・ちょっと待ってくださいね。たしか、ハンス・フォン・ビューローさんが言ってたんですから。彼の評論を探してみます!!」

 

チャイコフスキー

「おい、ビューローさんって言ったか?

 

俺の恩人のビューローさんがそんなことを簡単にいうか!!

 

ちゃんと正確な言葉を探して来い!!」

 

チャイコフスキーは自信作ピアノ協奏曲第1番がまわりに受け入れなかったときに、

唯一、ハンス・フォン・ビューローというドイツの名指揮者に受け入れてもらって、アメリカでこの曲をデビューさせてもらった恩があるのです)

 

同僚

「あの・・・チャイコフスキーさん・・・」

 

チャイコフスキー

「おお、みつかったか??」

 

 

同僚

「はい、チャイコフスキーさんの言う通りでした。

 

 

読みますね。

 

ブラームス交響曲は、ベートーベンの交響曲第10番と言うことができる”」

 

 

チャイコフスキー

「え?(そのままやん!!ビューローさん、やっぱりその程度の人なのか?)」

 

同僚

「で驚きましたよ~。

 

ここのあと、こう続くんです!!

 

”ただし、その交響曲は、ベートーベンの第2番と第3番の間がふさわしい”

 

 

チャイコフスキーさん!すごいですよ!!

 

たしかに、ブラームス交響曲第1番は、格式高い構成をしていますが、

古典のような音楽に戻りすぎていて、ベートーベンの破壊力というか垢ぬけた感じが

ちょっとないような感じはしますね!!」

 

チャイコフスキー

「まあ、そうだろう・・・

 

 

ブラームスの音楽はそういうところがある。

 

 

それに、彼は音楽をわかっていない気がする。少なくとも、私とは目指すものが違う。

 

 

 

ブラームスの音楽は、冷たく暗い。ただそれだけだ。」

 

 

同僚

「たしかに、ブラームスの音楽に、暗さは常にあると思います。

でも、それが彼のよさでもないでしょうか?」

 

チャイコフスキー

「いや、たしかに暗さや冷たさを表現してもいい。

 

でも、全体がそれではだめだ!!

 

 

音楽は人を幸せにするものでなくてはならない。

 

たとえ、暗い世界を描いたとしても、

そこには少しでも希望や発見がなければならないのだ」

 

 

 

チャイコフスキーブラームスに対する評価はこのようなもので、

わりと辛らつでした。

 

それにしても、

音楽史上もっとも絶望的な曲『交響曲第6番「悲愴」』を残したチャイコフスキーでも、やはりその思いは幸せな音楽をつくることに向けられていたのですね。

 

 

 

ワーグナーよ!人の感情はもっと繊細で深いのだ!」

 

当時のドイツ(日本では明治維新のころ)では、

 

ワーグナーブラームスが二大巨頭として君臨していました。

 

そこに北のチャレンジャー・チャイコフスキーが参戦します。

 

 

 

彼らに共通するのは、

ベートーベンに対する尊敬です。

 

ベートーベンの作り上げた交響曲に対して、

 

ブラームスは第10番目をつくる!!と、

あくまでベートーベンの様式を極めようとしました。

 

 

チャイコフスキー

基本はベートーベンの構成力に追随しながら、

そこにロシア音楽をブレンドしてみたい!と考えました。

 

 

③そして、最後のワーグナーは、

『第九』を超える壮大な人間ドラマを音楽を使って作り上げる!

と宣言し、三人のなかではもっとも派手に活動します。

 

 

 

そんなワーグナーに対して

 

チャイコフスキーはどう思っていたのでしょうか?

 

 

 

チャイコフスキー

「久々にドイツにきたし、やっぱオペラ見ようかな~~」

 

劇場のスタッフ

「いらっしゃいませ!

今宵は、バイロイト音楽祭にようこそお越しくださいました!

いまドイツでもっとも熱狂的なオペラをどうぞお楽しみください!」

 

 

チャイコフスキー

「ああ、ありがとう。

 

・・・ところで、このバイロイト音楽祭は、

ワーグナーの音楽しかやらないと聞いたのだが、

それで人は集まるのだろうか・・・?」

 

 

 

スタッフ

「はい!おっしゃる通り、この音楽祭はワーグナー氏の曲と、たったひとつの他の作曲家の曲しか演奏いたしません。

 

しかし、もうドイツの歌劇では神様のようにあがめられているワーグナー氏ですから、

それはもう、いつも大人気です。

有力な貴族も数多くご来場くださるビッグイベントです!!」

 

 

チャイコフスキー

「そうなのか・・・

神様ねえ・・・

 

 

まあ、ところで聴きたいのだが、

 

「たったひとつの他の作曲家の曲」とはなんだ?」

 

 

スタッフ

「ええ、そちらが

ベートーベンの交響曲第9番です!

 

ワーグナーの音楽活動の原点にして、目標の音楽として、

この曲だけはこの音楽祭でも演奏していいとされています。」

 

 

チャイコフスキー

「へえ。そうか。

 

「第九」のような音楽か・・・

 

いや、

どうも私はワーグナーという男のつくる音楽が苦手でね・・・

 

たしかに、彼の音楽はすばらしい!

 

 

だが、彼の活動はすこしだけやりすぎじゃないかと思う」

 

 

 

スタッフ

「え??あ、そうお思いですか・・・」

 

 

チャイコフスキー

「宗教的なまでに、人々を熱狂させる音楽が

はたして本当に善いものなのか?

 

考えたことはあるかね?」

 

 

スタッフ

ワーグナー氏の曲は、悪いものだと?」

 

 

チャイコフスキー

「いえ、そうではない。

 

ただ、危険なのだ!

 

音楽家とは真理を追い求めるものだが、

どうも私には彼が求めているのはただのフィクションにしか見えない。

 

 

並みの作家がそれをするのは問題ない。

ただの娯楽だ。

 

 

しかし、ワーグナーのように優秀な音楽家がそれをしてしまうと、

人々はニセモノの世界に支配され続けてしまうのではないだろうか?」

 

 

スタッフ

ワーグナー氏の音楽はニセモノですって??!!」

 

 

チャイコフスキー

「誤解をせずに聴いてもらいたい。

 

わたしは、ワーグナーの音楽は本物だと思うし、

彼の劇もすばらしい。

 

ただ、私ならば、もっと複雑で、深い人間心理を描写して、

この世界の真実を映し出すような作品を世に出す。

 

その点、彼は、人々に受け入れられやすいだけの娯楽を

流しているだけではないのか?」

 

 

スタッフ

「・・・・もう劇の時間です。あなたはいったい誰なんですか!!」

 

 

チャイコフスキー

ロシア帝国モスクワ音楽院教授・ピョートル・チャイコフスキーだ!」

 

スタッフ

「・・・え、・・・・チャイコフスキー・・!?」

 

チャイコフスキー

「では、失礼・・・」

 

 

チャイコフスキーは割と辛らつに極端に

他の音楽家を批判することがあるのですが、

 

ワーグナーに対しては特に厳しかったようです。

 

 

しかし、彼のバレエ作品やオペラには

明らかにワーグナーから借り受けてきたような痕跡が見られます。

 

実は、激しい批判のうらで尊敬もしていた。

尊敬しているからこそ、もっと完璧な音楽家ワーグナーとして

いてほしかったのかもしれません。

 

 

 

 

音楽でわかる!チャイコフスキーとブラームスの宿命の関係

活躍した分野は違うが、得意なスキルは似てる

 

チャイコフスキーブラームスは主な活動分野もかなり違いました。

 

チャイコフスキーは音楽界ではじめて、

バレエ音楽に芸術性を吹き込んだり、

 

ロシア民謡クラシック音楽として取り入れました。

 

わりと目新しい革新的なことが中心でした。

 

 

 

ブラームスは、

あくまで交響曲、ベートーベンの世界をどう極めるか、

モーツァルトやバッハも含めたドイツ音楽の伝統に忠実な音楽を再現できるか、

 

堅く堅く活動した人です。

または、ベートーベンがつくりあげた室内楽の世界でも

かなり活発に動き回ります。

 

 

 

 

ただ、チャイコフスキーブラームスの関係で面白いのは、

彼らは得意なスキルはかなり似ていたということです。

 

 

チャイコフスキーロシア民謡をベースにした歌うようなメロディが印象的な曲を多く残しています。

 

 

一方、ブラームスもあまり注目されてはいないのですが、

彼も歌うような美しい旋律が大得意です。

彼は、交響曲のような堅い壮大な音楽が有名ですが、

その一方で多くの歌曲を残しています。

シューベルトに匹敵するほどの「歌曲の人」と言う評価もあるほどです。

 

 

 

そして、彼らは宿命もおなじようなものを背負っていました。

 

彼らの目の上には常にベートーベンの姿がありました。

特にベートーベンの残した9つの交響曲

 

これを超える交響曲は表れないと言われていた時代のなかで、

なんとかしてベートーベンに対抗しようと音楽家たちはもがいていました。

 

二人はその宿命をかんじていました。

 

 

チャイコフスキーブラームスは、持ち前の「歌うようなメロディ」を少しだけ封印して、

そのうえで、交響曲という分野で勝負します。

交響曲は、構成力が大きくものを言うジャンルです。

 

 

自分のメロディを盛り込みながらも、あくまで全体の構成を重視した曲作りを目指し、

二人は苦闘する宿命をもっていました。

 

しかし、交響曲を離れると一転、

かれら特有の美しいメロディが自由に表現される曲が数多く残されます。

 

 

 

ドイツ音楽≒ヨーロッパ音楽を支えたブラームス

 

当時は、ドイツ音楽がもっとも格式高い音楽とされていて、

ブラームスはその中心的なポジションとして、

ヨーロッパの音楽界を背負っていました。

 

その気負いや責任感が彼の作風を作り上げていったのでしょう。

 

ちゃんとしたものをしっかりとした形式で

作り上げるカンペキ主義が見えます。

 

 

 

しかし、そうしたベートーベン風の音楽から離れると

彼も自由気ままに動き出します。

 

彼の残した歌曲は

どれもシューベルトのように魅力的なメロディに溢れています。

 

 

彼をおおきく成長させたのはドイツ音楽の基礎であり、

ベートーベンの交響曲ですが、

 

しかし、それは彼の発想を縛り付けるものでもあったんですね。

 

 

ロシアから、垢ぬけないメロディで挑戦したチャイコフスキー

 

 

その点、チャイコフスキー

アウトサイダーの音楽でした。

 

ロシア音楽は、当時ヨーロッパの音楽界からはほとんど切り離された、

ド田舎の音楽とされていました。

 

さらに、ロシア国内で人気だったのは、

ちょっと前に流行りだしたイタリアの劇音楽です。

 

 

その状況でチャイコフスキーは、

ドイツのちょっとお堅いイメージもある格式ある音楽を追求します。

 

そして、それがロシア音楽と結びついたらどうなるだろう?

というのを実験するのです。

 

 

 そして、ロシアではじめて成功します。

 

 

圧倒的な才能に、ロシアだけでなく、

ヨーロッパやアメリカが感動しました。

 

 

 

とはいうものの、

やはり交響曲を作曲するときには、

ベートーベンを意識せざるを得ません。

 

ベートーベンを越えることなくして、

交響曲での成功はありえないといわれてきました。

 

 

チャイコフスキーは、交響曲をつくるときは

彼の自由なメロディを制限して、全体の構成に気を配る必要がありました。

 

 

ドイツ音楽に合わせて曲作りをするプレッシャーというものもあったのでしょう。

 

 

ベートーベンの巨大な影に立ち向かった

 

チャイコフスキーブラームスには

宿命的な使命がありました。

 

それは、ベートーベンの遺産である、交響曲にチャレンジするというものでした。

 

そのために、持ち前のメロディ能力をすこし制限して、伝統にそった作曲をする必要がありました。

そこまでしてつくりあげたいものが彼らにはあったのです。

事実、ふたりの交響曲はどれも傑作ぞろいです。

 

 

一方で、交響曲を離れると

純度100%のブラームスチャイコフスキーを聴くことができます。

 

チャイコフスキーのバレエ、ブラームスの歌曲は

どちらも彼らの自信作です。

 

 

お互い、どう思っていたのか?

 

 

チャイコフスキーブラームス

お互いのことをどう思っていたのでしょうか?

 

 

意外すぎる!?チャイコフスキーとブラームスの似た関係

チャイコフスキーブラームスの意外な人間関係とは??

 

わりと似ている同時代のふたり

 

チャイコフスキーブラームスは、

どちらも現代のコンサートでも人気の作曲家です。

 

 

 

ブラームスといえば、

だれも受け継ぐ者がいなかった楽聖ベートーベンの後継者として存在感を放っていますし、

 

チャイコフスキーは、

親しみやすいメロディと壮大な音楽を掛け合わせる実力については、

クラシック音楽家のなかでもトップクラスです。

 

 

 

そんな彼らは同世代の人間としてじっさいに会ったことがありますし、

お互いの作曲を競った仲でもありました。

 

彼らの生きた姿を探ってみましょう。

 

 

音楽歴にはかなりの差がある

 

チャイコフスキーは、

 

1840年生まれ、ロシアの作曲家です。

彼が音楽の世界に入ったのは、

官僚を引退した22歳のときでかなり遅い経歴ですね。

 

子供のときは

名門の法律学校に通っていたというほど、

かなり良い生まれだったようです。

 

 

 

一方の

ブラームスは、

貧しい家の生まれで、

音楽の才能を生かして、はやい時期から稼いでいました。

 

 

彼は

1833年生まれ、ドイツの作曲家です。

 

10代の前半にはピアニストしての活動を始め、

10代後半には、作曲の実力を高めていました。

 

 

 

曲がった性格もいい性格も似ている

 

チャイコフスキーブラームスは性格がかなり独特だったという点で似ています。

 

 

チャイコフスキーはめちゃくちゃ繊細で、よくうつ病になっていました。

生涯で12回のうつ病を経験したとか・・・

 

晩年はロシアの音楽界を指導する立場になりますが、

中年のころまでは引っ込み思案がはげしく、人とのかかわりを嫌っていたようです。

 

さらに、浪費をするクセがあり、

莫大な収入を得ていても常に金欠だったそうです。

 

ひとつのところにとどまっているのが嫌いで

異常なほど旅行が好きだったといわれています。

 

 

ただ、弱い立場にあるものへの思いやりが人一倍強い人でした。

 

彼は、同性愛者や小動物といった社会的に認められていないものに意識をむけていました。

 

 

 

一方のブラームスはかなりのひねくれものと言われています。

 

若いころはかなりのイケメンだったのですが、

そんなモテる自分が嫌で、わざと太ったり、身なりを汚くしていたそうです。

 

さらに、自分の作品を作った意図が知られたり、

自分の努力を他の人に見られるのが大っ嫌いで、

 

彼の曲のスケッチはほとんどブラームス自身の手で焼かれています。

 

 

 

 

しかし、ものすごいいい人です。

彼は、音楽の世界で売れるようになってからも質素な生活を続け、

 

余ったお金のほとんどを若い音楽家たちに寄付していたようです。

 

 

ブラームスが支援した人物でもっとも有名になったのは、

チャイコフスキーに並ぶ天才・チェコの音楽家ドヴォルザークです。

 

 

ブラームスなくしてドヴォルザークは売れなかったのです。

 

彼は他にもたくさんの社会貢献をしていて、

慈善の人という印象が強いのです。

 

 

音楽的にはどんな違いがあるのか?

 

 

チャイコフスキーブラームスは生まれた境遇は違っても、

性格はかなり似ていることがわかりました。

 

では、かれらが音楽で語るとどんな違いがあるのでしょうか。

 

 

 

 

 

「組曲第1番」チャイコフスキー・修行編に突入!!

チャイコフスキー組曲第1番」

 

彼なりの試行錯誤を反映した曲です。

 

 

バレエ音楽のような自由で美しいメロディを研究して、

 

でも、同時に壮大で形式の整った交響曲にも挑戦して、

 

 

どちらも詰め込みすぎた結果、よくわからないぼんやりとした作品になりました。

 

 

彼なりに悩みながら、芸術を突き詰めていっている時の曲です。

 

 

 

 自分の実験をやりたいだけやりきった曲

 

 

 

チャイコフスキーは、交響曲第4番と第5番の間に、

約11年ものあいだを開けています。

 

この間に、

管弦楽による組曲というジャンルで、

彼は、4曲(純粋な作曲としては、バレエ音楽と同じく3曲)の

作品を残しました。

 

 

チャイコフスキーが自分のやりたいこと、得意なことをすべて実験して、

そのうえで最高のものを交響曲第5,6番や「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」に発展させていったともいえるでしょう。

 

 

フーガ、ガヴォット、精巧な変奏、多種多様な様式や技巧などを詰め込んでいて、

チャイコフスキーがどのように作曲を極めていったのかを知ることができます。

 

 

ドラゴンボールでいう「修行編」のようなイメージでしょうか。

 

ここで、チャイコフスキーなりの必殺技を磨いていくのです。

 

 

 組曲第1番を作曲したときのチャイコフスキーの状況はこちら!

nmusic.hatenablog.com

 

 

 

チャイコフスキーの「組曲第1番」への思いいれ

 

彼はこの曲について、

「わたしの思い違いでなければ、この作品は早い時期に聴衆に受け入れられ、

人気を得るだろう」と手紙を残しています。

 

いまの私たちから見たら実験曲のようにも見えますが、

当時もてる力のすべてを注ぎ込んだチャイコフスキーにとっては、

 

当時、自信満々の最高傑作でした。

 

 

ひそかにフォン・メック夫人に捧げられたといわれています。

 

この曲が完成した38歳、39歳のときは、

ふたりの仲が急速に燃え上がっていたときでした。