チャイコフスキーの生涯をわかりやすくまとめた

チャイコフスキーの生涯をわかりやすく解説します。

交響曲第4番⑥・最強の自信にあふれるチャイコフスキー

 

交響曲第4番とチャイコフスキーの人生

 

これまでの記事では、

 

nmusic.hatenablog.com

 

交響曲第4番から

チャイコフスキーの音楽性と人生観を見てきましたが、

 

 

この曲を作曲したときのチャイコフスキー

どのような生活を送っていたのでしょうか。

 

 

これまでも説明してきましたが、

ここでもう一度詳しく振り返っていきましょう。

 

 

 

チャイコフスキー、人生の夏休み

 

チャイコフスキー交響曲第4番を作曲したとき

 

 

彼は、とにかく遊びまくっていました。

 

 

彼は、他の音楽家とおなじく、かなりの旅行好きでした。

 

「旅行はあそびではない!仕事の一貫だ!」

と彼は主張していますが、

 

 

実際は遊びまくっています。

 

むしろ、仕事になるまで、遊びを極めた人かもしれません。

 

 

フォン・メック夫人からもらった多額の年金を使って、

ヨーロッパ中を遊んで回りました。

 

 

遊びは全力!疲れたら、「働きながら、保養する」

 

旅行続きだと、チャイコフスキーも疲れてきます。

 

30半ばを過ぎてますから、

さすがにやりすぎたのでしょう。

 

 

 

今度は、健康をくずしているのにも関わらず、

 

机からいっさい離れずに作曲を続けます。

 

 

もちろん、この間に、

はるか遠くのベネチアに行ったりもしてて、

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遊ぶのではなく、

 

ホテルで缶詰めになりながら

楽譜を書き続けたりもしました。

 

 

 

一方で、

この時期に結婚と、

結婚生活への絶望を経験していて、

 

 

そうした暗さも作品に現れていきます。

 

 

 

そんなこんなで、

楽しさと哀しさの詰まった

交響曲第4番は

 

約1年以上かけて作曲されました。

 

 

名曲ほど冷ややかな評価を受けるチャイコフスキー

 

さて、この交響曲第4番は、

 

モスクワで初演されました。

 

 

聴衆も、批評家も

散々な非難をあびせたようです。

 

 

ピアノ協奏曲第1番といい、

 

nmusic.hatenablog.com

 

これまでの交響曲や、

 

nmusic.hatenablog.com

 

今回といい、

 

 

チャイコフスキーは名曲を生み出すたびに

ボロクソに言われます。

 

 

時代は、彼の天才性よりも

少し遅かったのです。

 

 

最強の自信にあふれたチャイコフスキー

 

それでも、彼は交響曲第4番について、

こう語っています。

 

 

 

「たしかに、

 

モスクワでのこの曲の演奏は

冷ややかな目で見られただけに終わったかもしれません。

 

 

しかし、

 

私は自分の心のもっとも深いところで、

 

この作品は私が作ったものの中で最良のものだという確信を抱いています」

 

 

聴衆や、批評家と

 

チャイコフスキーの言っていること、

 

どちらが正しかったかは、現在の私たちには一目瞭然です。

 

 

 

彼は、まわりに振り回される性格でしたが、

 

それでも自分の音楽性に対するゆるぎない自信を

養うことに成功していたのです。

 

 

 

さらにチャイコフスキーの内面に迫る

 

チャイコフスキーは激動の3年を通じて

自分自身の音楽性に自信をもちますが、

 

その道のりは険しいものでした・・・

 

次回記事です。