1878年・苦悩を乗り越えたチャイコフスキーの栄光
チャイコフスキーの苦悩
激動の3年間・さいごの復活
結婚の苦悩があとをひくなか、
思わぬところから救いの手がやってきます。
なんとフォン・メック夫人から経済援助が入るというのです。
彼と夫人は、手紙をよく交換する仲良しでした。
そして、チャイコフスキーが財産がないばっかりに
音楽院の仕事でストレスを抱え、
財産目当てで結婚しなければならないことを悲痛に思います。
というよりか、
チャイコフスキーの作曲活動が途切れてしまったことを残念に思っていました。
「金は送るから、すばらしい音楽をまたつくってよ!!」
夫人はチャイコフスキーにそう声をかけたのでしょう。
これに勇気づけられ、チャイコフスキーは復活します。
そして、手に入れたお金で諸国をまわる旅に出て、
もういちど自分を見つめ直しにいきます。
ついに大曲を完成
ついに交響曲第4番と「エフゲニー・オネーギン」を完成させます。
自殺を図るほどのどん底で紡ぎ続けた傑作たち。
チャイコフスキーは自信満々でした。
曲の評価と関係なく、チャイコフスキーは自信満々
「エフゲニー・オネーギン」の評価
ロシア近代文学の開祖とされるプーシキンの「エフゲニー・オネーギン」の、チャイコフスキーによるオペラ化は、当時のロシア文壇の大物たちからも大きな関心を寄せられる出来事となりました。
作家たちの中でとりわけ音楽に造詣が深いツルゲーネフという人は、
「『エフゲニー・オネーギン』は……疑いの余地なく、素晴らしい音楽です。抒情的旋律的部分は特によろしい。しかし、なんという台本でしょう! いいですか、登場人物に関してプーシキンが綴った詩行が、人物本人の口から発せられている」
プーシキンの台本は、
チャイコフスキーのすばらしい音楽をだいなしにしているのでは?
と、言っています。
文化人から高い評価を受けたこの作品は、
のちにロシア皇帝アレクサンドル3世から絶賛されます。
まさに出世作のひとつです。