チャイコフスキーの生涯をわかりやすく解説

チャイコフスキーの生涯をわかりやすく解説します。

深く知ろう!チャイコフスキーの激動の3年間③

激動の3年間のクライマックス

 

チャイコフスキーの激動の3年間はついにクライマックスを迎えます。

 

 

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思えば、「白鳥の湖」を作曲したときも

決して心もちは楽ではなく、

憂鬱な精神のなかで傑作を書き上げたのではないか、とも思わされます。

 

そんな死の淵から、チャイコフスキーが得た答えとはなんだったのでしょうか?

 

 

進化を遂げた1878年

 

チャイコフスキーは、

 

ぎりぎりのところで復活の決意を固めます。

 

どんな人生でも受け止める。

何度逃げ出したとしても、自分を強く持ち続け、復活する。

 

 

 

そう決意をかためたチャイコフスキーに、

不思議と、思わぬプレゼントがあらわれます。

 

 

 

 

なんとチャイコフスキーの文通相手フォン・メック夫人が

チャイコフスキーに経済援助をくれるというのです。

 

チャイコフスキーにとっては、

年間1000万円レベルの大金でした。

 

 

それをもとに、

チャイコフスキーは自分を癒す旅に出ます。

 

 

そして、諸国でいろいろな刺激を受け、

ついに自分の葛藤のすべてをエネルギーに昇華した

 

最高の音楽を生み出すことになります。

 

 

 

激動をこえ、ついに新たなステージへ

 

激動を乗り越えて、

 

チャイコフスキー

 

 

交響曲第4番」

 

オペラ「エフゲニー・オネーギン」

 

を完成させます。

 

 

 

そして、立て続けに

 

個性際立つ大ヒット曲、

「ヴァイオリン協奏曲」を生み出しました。

 

 

さらに、夫人の援助を得たことから、

ついに教授としての仕事を辞めます。

 

同年、モスクワ音楽院を退職します。

 

チャイコフスキーを世に送り出した、

12年間にわたる教員生活も終わりをつげ、

 

チャイコフスキーは真の音楽家として自立しはじめるのでした。

 

 

激動の3年間を詳しく知りたい!!

 

激動の3年間の間におきたイベントを

 

もっと詳しく解説していきます。

 

 

交響曲第4番についてはこちら。

 

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白鳥の湖については、こちら。