悲劇!チャイコフスキーの悪妻アントニーナ・ミリューコヴァとの出会い
チャイコフスキーを襲う悲劇
前回記事です。
チャイコフスキーは、「エフゲニー・オネーギン」と
運命的な出会いを果たしますが、
もうひとつ悲劇的な出会いに巻き込まれることになりました。
世間のイメージは、とんでもない悪妻
1877年、37歳の夏、
チャイコフスキーはアントニーナ・ミリューコヴァという28歳の女性から求婚されます。
これはかつて、チャイコフスキーが音楽理論を教えたことのある子で、
そのプロポーズの仕方が
アントニーナ「もし、この思いがかなわなければ、自殺をも辞さない」。
チャイコフスキーはこの勢いに負け、
いやいやながら結婚することになります。
しかし、結婚生活は失敗。
わずか数週間で、精神的苦痛はピークに達します。
よく遊びに行っていた
妹の嫁ぎ先に逃げ込みます。
なんとか気を取り戻し、
もういちどモスクワにやってきますが、
またしても結婚生活に耐えられず、
自殺を試みます。
またしても、モスクワから逃れて、
精神療養を受けました。
チャイコフスキーはなんとか離婚を頼みますが、
アントニーナは受け入れず、その後もチャイコフスキーの悪妻としての存在感を発揮し、彼の悩みのひとつとなります。
チャイコフスキーの苦悩
そこまでしてでも、結婚をせざるを得なかったのは、
チャイコフスキーが、アントニーナが相続した彼女の親の財産がほしかったから、だとか、
その財産で音楽院仕事をやめたい、だとか、
音楽院院長ニコライ先生への不満だとか、
結婚して父を喜ばせたい、だとか。
同性愛を疑われているのでとりあえずその噂を消したい、だとか。
いろんな理由が言われていますが、
とにかくいろんな悩みをかかえています。
これだけ人間として悩んだチャイコフスキーは、
その苦悩を細かく分析し、作品に注入していきます。
この苦しみを背負いながら、
彼はふたたび作曲に戻ります。
交響曲第4番、
オペラ「エフゲニー・オネーギン」のために。