チャイコフスキーの生涯をわかりやすくまとめた

チャイコフスキーの生涯をわかりやすく解説します。

チャイコフスキーと未亡人フォン・メック夫人との出会い

チャイコフスキーとフォン・メック夫人

 

 

題名を「チャイコフスキーとフォン・メック夫人の出会い」としていますが、

 

実は二人は一度もあったことがありません。

 

 

ただ、フォン・メック夫人は

チャイコフスキーの楽曲の演奏を聴いたことがあるだけで、

 

 

ふたりのやりとりは文書で行われました。

 

 

 

一度もあったことがない相手にお金を送り続ける夫人のすごさですよね。

 

 

ちなみに、この二人は14年間も手紙だけでやり取りを続けました。

 

 

おそらくですが、

 

 

チャイコフスキーのつくる音楽のなかで

会話をしていたのではないでしょうか。

 

 

 

フォン・メック夫人とは何者?

 

まったくあうこともないのに、

 

チャイコフスキーに大金を送り続けたフォン・メック夫人とは、

 

いったい何者なのでしょうか?

 

 

 

彼女はチャイコフスキーの9歳上で、

ロシアの鉄道王と結婚します。

 

 

そして、その夫が死ぬと

 

有り余るほどの財産を手にしたのです。

 

 

 

とにかく音楽好きで、

チャイコフスキーの他にも

フランスの作曲家ドビュッシーも支援しています。

 

 

これについて、チャイコフスキーは嫉妬しており、

 

「なんで自分以外の作曲家にも支援するんだ・・・

もしかしておれよりもすごいのか・・」

 

とかなり落胆しています。

 

 

夫人は、新しい音楽性を求めて、

支援先をドビュッシーに変えたとも言われています。

 

 

チャイコフスキーが得た経済援助の額は?

とはいえ、夫人はかなり羽振りがいいです。

 

 

いちばん気になるのは、

 

やはりチャイコフスキーがいったいいくらくらい、

夫人から経済援助をうけていたのか?ということではないでしょうか?

 

 

なんと、現在の日本円に換算すると、

 

年間600~1200万円!!

 

 

それを14年間にわたり、送り続けました。

 

つまり、約1~2億円もの支援になっていました。

 

 

 

庶民からしたら、とんでもない額ですが、

 

それでも大富豪にしてみれば少ないかも・・・と思えなくもありません。

 

 

 

が、

 

 

チャイコフスキーはこれだけの安定した収入にプラスして、

 

ロシアで大人気の作曲家としての売り上げもありました。

 

 

 

ここまで来れば、

経済的には怖いものなしです。

 

 

チャイコフスキーはより自分の表現を高めていくことに集中していきます。

 

 

そして、名曲「交響曲第4番」へ

 

そんな彼の表現力の最高峰に位置するのが、

 

交響曲第4番です。

 

 

のびのびとしながらも深い楽想に迫ります。