チャイコフスキーの生涯をわかりやすくまとめた

チャイコフスキーの生涯をわかりやすく解説します。

深く知ろう!チャイコフスキーの激動の3年間②

チャイコフスキーを知るうえで欠かせない3年間

 

前回記事です。

nmusic.hatenablog.com

 

 

チャイコフスキー

絶頂期から、

徐々に彼の人生にふりかかる宿命に悩まされ始めます。

 

しかし、フォン・メック夫人という希望も現れました。

 

 

「最重要な転機1877年」

チャイコフスキーは、

 

フォン・メック夫人と盛んに文通を交わすようになり、

それを希望に、

 

 

チャイコフスキーこだわりの一品である、

 

オペラ「エフゲニ・オネーゲン」をつくりはじめます。

 

 

さらにもうひとつの大曲、交響曲第4番を作り始めてもいました。

 

 

チャイコフスキーの物語に女性が登場するのは珍しくて、

以前フラれて今は友達になったアルトーという歌手と、

 

nmusic.hatenablog.com

 

 

 

経済援助をしてくれたペンフレンドの

フォン・メック夫人しか出てきていません。

 

nmusic.hatenablog.com

 

 

そして、

そこにまた一人の女性が登場します。

 

 

絶望の結婚生活

 

この年の6月に、

 

かなりの晩婚でしたが

アントニナという女性と結婚します。

 

「若者よ、ぜひ結婚したまえ。

 

良い妻をもてば幸せな夫に、

 

 

悪い妻をもてば、音楽家になれるだろう」

 

チャイコフスキーがこう言ったとしても

不思議ではないくらい、

 

チャイコフスキーは絶望の淵に落ちます。

 

結婚生活は彼にとって全然合わないものだったのです。

 

 

 

自殺まで考えた年

 

チャイコフスキーは絶望のなか、

ついには自殺を思い立ちます。

 

どうやったら楽に死ねるのか、考えつくしたようなあとも残っているようです。

 

 

そして、最終的には、

 

職場近くにモスクワ川が流れており、

そこに身を投げて自殺しようと考えました。

 

 

 

ベートーベンは耳が聞こえなくなって、

32歳のときに遺書をしたためましたが、

 

 

チャイコフスキーも30代で人生の終わりを目の前にしています。

 

 

 

 

しかし、彼らは地獄の底からよみがえったかのように、

 

次の年から神がかった作曲活動を展開します。

 

 

チャイコフスキーはふっと我に返ります。

自殺する覚悟まで決めたその瞬間のことでした。

 

そして、

すべてがふっきれて、真の自分で生きることを決意します。

 

 

 

そして、「進化を遂げた1878年

 

ここから、

チャイコフスキーは大きな飛躍を遂げることになります。