チャイコフスキーの生涯をわかりやすくまとめた

チャイコフスキーの生涯をわかりやすく解説します。

ピアノ協奏曲第1番④・チャイコフスキー、アメリカデビュー!

ピアノ協奏曲第1番、初演の場所は・・・

 

チャイコフスキーは、

 

ドイツのベテラン指揮者

ハンス・フォン・ビューロー

ピアノ協奏曲第1番を手渡します。

 

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そして、

リスト、ワーグナーブラームスといった天才と仕事をしてきたビューローは

彼の天才性を一瞬で見抜いて大絶賛します。

 

ビューロー

「さっそくこの協奏曲を初演しようじゃないか!!」

 

 

チャイコフスキー

「わかりました!では、さっそくドイツのどこかの会場を予約しましょう!」

 

ビューロー

「いや、この曲はドイツでは演奏しない」

 

チャイコフスキー

「え・・・、じゃあ、ロシアで演奏したほうがいいでしょうか?」

 

ビューロー

「これだけの曲がそんな片田舎に収まるか!!

 

もっとよい、新時代の音楽にふさわしい場所がある!

 

 

 

アメリカ合衆国だ!!」

 

 

 

チャイコフスキー、アメリカデビュー

 

当時のアメリカ合衆国は成立から100年が経過したばかりの

 

まだまだ若い国でとても活気がありました。

 

 

いろんな民族や文化を受け入れる、

 

まさに新世界としての役割を果たしていました。

 

 

 

音楽にも関心を示し、

 

ビューローを招いたり、

チェコの大スター作曲家・ドヴォルザークを雇ったり、

 

 

とにかく文化的に新しいものを吸収しようと頑張っていました。

 

 

 

そんなアメリカに

チャイコフスキーがデビューすることになりました。

 

 

大熱狂の初演・ピアノ協奏曲第1番

 

指揮者ビューローは、チャイコフスキーの楽譜をひっさげて現地入り。

 

アメリカで熱狂的に受け入れられる初演となりました。

 

 

 

この人気ぶりに、

 

ニコライ先生はチャイコフスキーに謝罪を申し入れます。

 

 

そして、

 

ロシア初演は自分が務めることを約束しました。

 

 

 

ついにチャイコフスキーの才能が認められました。

 

 

今思うと、

ニコライ先生も実はチャイコフスキーの天才性をわかってはいたものの、

 

少しだけアドバイスするときの口調がきつかっただけなのかもしれません。

 

 

 

こののち、ニコライ・ルビンシテイン先生は

 

このピアノ協奏曲第1番を世に広く知らしめる役割を果たしました。