チャイコフスキーの生涯をわかりやすく解説

チャイコフスキーの生涯をわかりやすく解説します。

チャイコフスキー自身が書いた”仕事の流儀”

激動の3年間をこえたチャイコフスキー

 

チャイコフスキー

 

フォン・メック夫人の援助と

数々の名曲のおかげで、

 

結婚生活の苦悩と

自殺のどん底からすこしずつ立ち直っていきました。

 

 

いまだに悩みも多いものの、

それを心のなかで飼いならす術や、音楽に昇華することを学びます。

 

1878年の春には田舎で休息をとりながらも、

あいかわらず、旅行と仕事に明け暮れる日々をおくる、

いつもどおりのチャイコフスキーに戻ります。

 

 

チャイコフスキー”仕事の流儀”

 

そんなチャイコフスキーは、

 

仕事の流儀をフォン・メック夫人にあてて書いています。

 

 

1878年夏、

ちょうどスイスで

ヴァイオリン協奏曲を書いている時の手紙です。

 

 

「ひとつの計画をたてるやいなや、

すっかり完成させるまで休むことなく働き続けます。

 

そして、それが完成すると、

 

新しい作曲をはじめたいという我慢できない衝動を感じるのです。

 

 

私にとって仕事は呼吸のための空気のようなものです。

 

仕事をしないでのらりくらりしていると、

憂鬱な気分が勝ってきて、完全性という高みまで達することができるのか、と

 

自分の能力に疑いが兆してきます。

 

 

さらに、自分自身に不満になり、

 

それどころか、自分を憎みだします。」

 

 

つまり、

常にあたらしく仕事をしつづけていないと、

自分のなかの暗いうつのような部分がでてきてしまう、

 

それを克服できるのは仕事をしているときだけだ!

 

というわけです。

 

 

 

 

続きます。

 

 

仕事はチャイコフスキーにとってなくてはならないもの

 

「・・・わたしは非常に憂鬱になる傾向がある。

 

それに、楽をしようという欲望に負けてはいけない、ということも知っています。

 

 

仕事だけがわたしを唯一救うことができるのです。」

 

 

 

チャイコフスキーの奇妙な生活スタイル

 

激動の3年をこえたチャイコフスキーは、

 

いったん休憩のような形に入ります。

 

もちろん作曲は精力的になりますが、

 

一風変わったライフスタイルをとるようになるのです。