「エフゲニー・オネーギン」・ワーグナー流を斬るチャイコフスキー
チャイコフスキーがワーグナーに対抗した工夫
前回記事です。
「エフゲニー・オネーギン」を巡って、
今回の記事でも描きます。
ドイツの楽劇王ワーグナーに対して、対抗意識をもっていました。
ワーグナーの偉大な音楽的才能を目の当たりにしたからであり、
一方で、ワーグナー歌劇にうんざりするくらいの嫌悪感も持っていたからです。
「エフゲニー・オネーギン」登場人物をよりリアルに!
チャイコフスキーの理想は、
オペラの登場人物に、
「生きた人間」の心の奥底にある感情や、リアルな考え方というものを求めました。
彼が言うには、
ワーグナーのオペラの登場人物たちは
リアルでないのです。まるで絵に描いたような悲劇のヒーローや、最強の英雄、美しいヒロインや、見るからに悪役。
こうしたものは低俗だ、とかなり厳しい批判をしています。
チャイコフスキーは「運命は性格のなかにあり」と語っていて、
劇的な展開に”運命”はあるのではなく、
まわりの展開よりも、登場人物の心の動きを重視し、
人間の心を丁寧に描写していくなかで、
その人が何を感じ、どうとらえたかが真のドラマになるとしています。
人間心理からドラマを掘り出すチャイコフスキー
例えば、
長編の小説で、
主人公がめちゃくちゃ考えるシーンのなか、
たった数分間横になって寝ているだけなのに、
何十ページも心理描写をする場面があったりします。
野球マンガなどで心理描写をやりすぎて、
たった「1回の表」を描くだけで、連載1年くらいかかってしまうマンガのような。
それがチャイコフスキー流です。
(じっさいはそこまでやりすぎではないです)
なにも展開していないのに、
その人の頭のなかでドラマがあって、小説として成り立っているのです。
ダイナミックな展開が得意なワーグナー
一方、ワーグナーはガンガン展開します。
月9のように、1クール終わるまでにはなんども急転回をして、
感動のラストを描きます。
息をつかせぬ、面白い展開を持ち味にしており、
まるでハリウッド映画を先取りしたような構成です。
どちらが好みかは人によりますが、
芸術の通と呼ばれるひとたちからしたら、
リアルな人間性を描いたもののほうがしっくりくるのかもしれません。
そういうあたり、
チャイコフスキーはかなりまじめな性格だったようです。
「エフゲニー・オネーギン」のあらすじと魅力