チャイコフスキーの生涯をわかりやすくまとめた

チャイコフスキーの生涯をわかりやすく解説します。

スラブ行進曲・熱狂をしかけるチャイコフスキー

チャイコフスキー、スラブ行進曲

 

必ず、ウケる民族曲。

 

リストのハンガリー狂詩曲

ブラームスハンガリー舞曲集

ドヴォルザークのスラブ舞曲集

 

有名作曲家が次々と、民族曲をヒットさせるなか、

(関係ないですが、ベートーベン、モーツァルト

トルコ行進曲を残しています)

 

 

チャイコフスキーも「スラブ行進曲」をひっさげてやってきます。

 

当時は、民族意識愛国心が燃え上がっていた時期で、

こうした音楽は人々の心をしっかりととらえていきます。

 

 

チャイコフスキーの住むロシアにはスラブ民族が多いのですが、

そこでも同じような状況でした。

 

 

 

ロシアとトルコの戦争

 

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少し年代がずれた地図ですが、

 

当時のロシアとトルコ(オスマン帝国)は、常に戦争しているような状態でした。

地図右の”黒海”のすぐ上にはチャイコフスキーの故郷のウクライナがあります。

 

 

この戦争は長きにわたり、

多くのロシア人(スラブ民族が主)が死傷しました。

 

そんななか、モスクワ音楽院でも、負傷兵のためのチャリティコンサートが企画されます。

 

その企画にいちはやく賛同したのがチャイコフスキーでした。

 

このころ愛国心にあふれていたチャイコフスキーは、

たった5日で新曲をつくります。

 

 

それが「スラブ行進曲」です。

(もともとは、「セルビア・ロシア行進曲」として作曲されました。

 

セルビアはスラブ人の国で、オスマン帝国に支配され続けた歴史があります)

 

 

この曲はもちろん、ロシア国内で圧倒的なヒットを記録しました。

 

スラブ行進曲の熱狂のひみつ

 

曲は変ロ長調で、重苦しいファゴットビオラによる挽歌にはじまります。

 

挽歌とは、「死者を悼む詩歌」という意味です。

 

 

この民族風な耳になじんでくる主題は、楽器を変えて曲のなかに何度も現れます。

 

それに続いて、明暗をとりまぜて、

スラブ風の主題がつぎつぎと姿をあらわし、

 

 

戦争の不安と激しい戦意を描き出していきます。

 

 

 

そして、最後には強烈なクライマックスに達して、

 

スラブ民族勝利を確信するような力強さのうちに

曲はきっぱりと終わります。

 

 

ある意味、チャイコフスキーの特長

 

 

チャイコフスキーは、本人が好む・好まないに関わらず、

こういう曲をつくらせると、とにかくうまいのです!

 

盛り上がりと、リズムを組み合わせるテクニックが最高に熟達していて、

あざといまでに耳に染みわたる音楽を作り上げています。

 

民族主義とかにかんけいなく楽しめ作品でもあると思います。