人生に大いに悩む・チャイコフスキー36歳
チャイコフスキーがノリノリな時期
いよいよ絶頂と絶望の1876、1877年を迎えます。
チャイコフスキーは36歳でした。
1876年はチャイコフスキーにとって、もっとも得意げな年でした。
・パトロン現る
チャイコフスキーの楽曲に感動し、
チャイコフスキーに資金援助を申し出た未亡人があらわれます。
チャイコフスキーの活動は
一気に飛躍し、ロシアやヨーロッパ各地での名声も高まっていきました。
さらに37歳では、
残っていますが、
そのひとつを人生のど真ん中である36歳で作り始めました。
これは、ベートーベンやブラームスの交響曲にも匹敵する名曲となります。
チャイコフスキーの三大バレエといえば、
そして、
世界の三大バレエといえば、
同じく
世界のバレエ界をカバーしてしまうくらいのすごさがありました。
これは芸術の歴史のなかでも
異様に優れていることです。
・さらに文豪トルストイと出会い、自作の曲に感動される
こちらでまとめています。
それでも、めちゃくちゃだった時期
そんな絶頂期にはいったように見えるチャイコフスキーでしたが、
私生活ではどんづまりの状態でした。
ついには自殺を決意してしまうほどまでに衰えてしまいます。
思えば、ベートーベンも32歳のときに遺書をしたためています。
モーツァルトは35歳で死んでいます。
チャイコフスキー37歳の絶望も同じ年代に起こっていますね。
・結婚するも、その後の生活がうまくいかない
・「白鳥の湖」が初演ではぜんぜん評価してもらえない
・その他、いろいろな性格的なことで悩む
などなど、
チャイコフスキーの暗い部分が徐々に表れていきます。
チャイコフスキーの真髄を知るために
次回記事からチャイコフスキーの
明と暗をそれぞれわかりやすく解説していきます。
彼の音楽性に真にせまってみましょう。