交響曲第2番「小ロシア」②・チャイコフスキーの故郷への思い
交響曲第2番「小ロシア」にこめられた思い
その題名通り、小ロシア(ウクライナ)の民謡を数多く盛り込んでいます。
これについて、後世の人はチャイコフスキーの思いを反映したものだと評価しています。
「チャイコフスキーの本作における民謡素材の利用については、まったく意外なことではない」
「チャイコフスキーが(ウクライナの別荘に)温もりを感じていたことは、交響曲に地元の歌を用いるという発想に姿をとった」
伝記作家ジョン・ウォーラック
「(ウクライナの妹の嫁ぎ先は)当時すでにチャイコフスキーのお気に入りの隠れ家になっていた」伝記作家アレクサンドル・ポズナンスキー
「小ロシア」の作曲者は、”使用人”だ!
チャイコフスキーはかつて冗談で、『小ロシア』の終楽章が成功したのは、自分自身の手柄ではなく「作品の真の作曲者ピョートル・ゲラシモヴィチ」のお蔭というのが真相なのだと言ったことがありました。
ゲラシモヴィチは、妹の家の年長の使用人で、チャイコフスキーが本作に取り組んでいる間、作曲家に民謡『鶴』を歌ってくれていたのです。
チャイコフスキーお気に入りの冗談話のモチーフ
彼がよく語ったとされるジョークがあって、
それは交響曲第2番「小ロシア」の草稿をなくしかけたという話です。
チャイコフスキーのお気に入りのアネクドートの一つに、『小ロシア』の草稿を失くしかけたという経験談がある。チャイコフスキーは弟モデストと旅行中に、頑固者の駅馬車仕立て人を説き伏せて、馬を馬車につながせようとした。旅行の間チャイコフスキーは、「皇帝の側近ヴォルコンスキー大公」の振りをした
チャイコフスキーはモデストと夕方までに目的地に着くと、旅行鞄が見当たらないのに気付いた。そこには制作中の交響曲も含まれていたのである。チャイコフスキーは、駅馬車仕立て人が鞄を空けて、自分の身辺を調べたのではないかと訝った。そこで旅行鞄を取りに仲裁者を遣わした。仲裁者が戻って来て言うことには、駅馬車仕立て人は「ヴォルコンスキー公」のような貴人の荷物は、本人以外の目の前で空けませんということだった。
チャイコフスキーは強い決意で戻った。旅行鞄は開かれておらず、おおかた安心した。チャイコフスキーはしばし駅馬車仕立て人と鄭重に話し込んでいて、ひょんなことから駅馬車仕立て人に名前を尋ねた。駅馬車仕立て人は答えた。「チャイコフスキーです。」チャイコフスキーは呆気に取られ、たぶんこの返事は、駅馬車仕立て人の側の抜け目のない仕返しに違いないと思い込んだ。結局チャイコフスキー姓は駅馬車仕立て人の実名だったのである。この事実を知ってからというもの、チャイコフスキーはこの話を人に聞かせては喜んでいたという。
チャイコフスキーは別の人を名乗って
正体を隠していました。
でも、相手は「わたしはチャイコフスキーです!」と言った。
そんな珍しい名前はあるはずがない。
「俺のことをチャイコフスキーって見抜いていたから、
「チャイコフスキーです!」ってわざわざ名乗ったんだな??」
と思っていたら、
本当にその人の名前はチャイコフスキーさんだった
という話です。
ロシアンジョークなだけにちょっとわかりづらいですが、
これをチャイコフスキーはのちのちまで話し続けたといいます。
ついに再対決!VSロシア五人組
この曲を作曲したとき、
ロシア五人組の一人と接触することになります。
感動的な場面です!!