チャイコフスキーの生涯をわかりやすくまとめた

チャイコフスキーの生涯をわかりやすく解説します。

チャイコフスキー28歳「ワルツ・カプリ―ス」ヘ長調

チャイコフスキー「ワルツ・カプリ―ス」ヘ長調

 

チャイコフスキー

就職2年目も音楽院でのお仕事に多忙な日々をおくりました。

 

 

そんななか教授仲間から作曲の依頼をもらいます。

 

 

モスクワ音楽院でピアノを教えながら、

自らもピアニストとして活躍しているアントン・ドール先生です。

 

 

この人からピアノ曲を書いてほしいと頼まれ、

仲間からも作曲の才能を信頼してもらえた!!!と張り切ったチャイコフスキー

 

 

夏休みにハープサルをいったすぐあと、

28歳の秋には「ワルツ・カプリ―ス」ヘ長調を作曲します。

 

 

時期的には、交響曲第1番「冬の日の幻想」や「デンマーク国家による祝典序曲」よりも遅い時期に作曲したのですが、

 

とんとん拍子に初演と出版がきまり、

 

その年の年末には

チャイコフスキー作品番号4として世に出ることになりました。

 

 

チャイコフスキーはかなり信頼されていた

 

さて、チャイコフスキー

「ワルツ・カプリ―ス」ヘ長調の作曲を頼んだアントン・ドールは何者なのでしょうか?

 

 

まず、チャイコフスキーよりも7つ上、

 

しかも、チャイコフスキーは音楽歴が浅いですから、

音楽歴だけでいえば、10年以上の大先輩にあたります。

 

 

そして、チャイコフスキーと同じモスクワ音楽院で教授をしていました。

 

(ただ、モスクワ音楽院にはチャイコフスキー

ほぼ同じ時期に入った少し上の先輩という立ち位置なので、

チャイコフスキーがどれだけスピード出世していたのかがわかります。)

 

 

 

ドール先生がなんですごいかと言うと、

 

ピアノに関していえば、

あのベートーベンの弟子の弟子にあたります。

 

そして、弟子仲間はなんと

ショパンと同じく大ピアニストとして知られるリストです。

 

ロシアナンバーワンのピアニストといっても過言ではありません。

 

 

それだけの人物がチャイコフスキーの曲を弾きたいといってきていたのです。

 

魅力は、チャイコフスキーらしさがない点

チャイコフスキーピアノ曲には、

 

ロシア歌曲にあるような素朴で情緒あふれるメロディが多く出てきますが、

 

「ワルツ・カプリ―ス」では、大ピアニストを前にして少し格式を整えたチャイコフスキーの楽曲を味わうことができます。

 

 

本場・ドイツやオーストリア風の

華麗な装飾とドラマティックな演出効果により

洗練された印象の曲に仕上がっています。

 

 

チャイコフスキー

音楽の本流とは離れた田舎音楽家と思われがちなのですが、

 

 

実はドイツ音楽をドイツやウィーンの音楽家よりも研究していて、

しっかりとした本場の音楽をつくることもできました。

 

 

これを証明したのが「ワルツ・カプリ―ス」と言えるでしょう。