2つの小品・チャイコフスキーの音楽院での仕事
チャイコフスキーは音楽院の教授
チャイコフスキーは、
モスクワ音楽院の教授として
音楽家人生をスタートさせました。
見知らぬ土地モスクワで、
唯一の知り合いは音楽院長のニコライ先生だけでしたが、
都会を飛び回るうち、
彼が崇拝するオストロフスキーや
のちの作品に大きな影響を与え合うことになるロシア五人組など、
いきなり大きな出会いを繰り返していきました。
そんな忙しい日々を送っていたチャイコフスキーは、
音楽院の教授として作曲活動もきちんとしていました。
「デンマーク国家による祝典序曲」の依頼を受けた次の年、
チャイコフスキー27歳のときにニコライ先生から
「ピョートル!曲を書いてくれないか!」
と頼まれます。
作品番号1番・2つの小品
「デンマーク国家による祝典序曲」を済ませていましたが、
初演と楽譜の出版では、
「2つの小品」という作品をもっとも最初に世に送り出していました。
2つのピアノ曲からできていて、
と
の2つを合わせています。
①「ロシア風スケルツォ」は、
当初は「奇想曲」と名付けようとしていたようですが、
ロシアのなつかしさを感じる旋律が印象的だったため、現在のニックネームになりました。
チャイコフスキーは妹ととても仲がよく、
妹の嫁ぎ先にもよく遊びに行っていました。
そこでの民謡から引用しているようすが見られ、
ロシアの田舎風のイメージの曲に仕上がりました。
まさに田舎情緒あふれるやさしくも、うきうきするような楽想です。
垢ぬけない持ち味がなんとも言えない魅力を放っています。
②即興曲は、
一転して、怒涛の如く突き進んでいきます。
激しい葛藤を芸術の中に盛り込んでいくベートーベン流のスタイルを
チャイコフスキーもしっかりと彼の音楽に組み込んだかのような、
ドラマティックな展開が印象的です。
よくドイツの本や楽譜を読んで勉強していたのでしょう。
チャイコフスキーにしかない魅力
チャイコフスキーにしかない魅力といえば、
ドイツとロシアの融合でしょう。
伝統的なバッハ、モーツァルト、ベートーベン、ブラームスといった巨匠たちが
洗練させてきたドイツ流の音楽理論に、
ロシア産のメロディを盛り付けていくスタイルは
ロシアの田舎育ちながら、
進んだ文明のなかに移り住んできた彼だからこそ表現できるものです。
言葉を悪く言えば、
「あざとく」も見えてしまうような
洗練されていないロシア情緒あふれるメロディを盛り込んでいくところに、
チャイコフスキーの憎らしいまでの楽想の豊かさを感じるところです。