チャイコフスキーの生涯をわかりやすくまとめた

チャイコフスキーの生涯をわかりやすく解説します。

チャイコフスキーの若かりし経歴

チャイコフスキーは音楽家になれなかった

 

チャイコフスキーは、音楽一家とまったく関係ない家に生まれ、

 

 

小さいときから音楽教育をうけたこともありませんでした。

 

 

 

ただ、やはりチャイコフスキー少年には、

音楽の才能がたしかに宿っていました。

 

 

周囲の声は、

「あれ?ピョートル(チャイコフスキーの名前)、歌うまいやん!!」

 

「おお、すごい演奏とかもうまいやん!」

 

とか、ものすごい音楽ができる子でした。

 

 

ただ、ちょっと音楽ができるからって、

 

すぐ音楽家になろう!!!

 

なんて、だれも言い出しませんでした。

 

 

両親も、自分とこの次男を音楽家にする気はありませんでした。

 

 

で、どうしたか??

 

 

法律家をめざす・チャイコフスキーの10歳

 

法律家・ピョートル・チャイコフスキーの誕生です。

 

 

 

え??っていう感じですが、

 

 

のちの大作曲家は、

意外にも法律を勉強していました。

 

 

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音楽みたいに稼げるかどうかわからないフワフワしたものよりも、

実利的にステータスの高い法律家をめざす!

 

 

もう、チャイコフスキーが周囲のひとたちの期待に応えるために、

がんばっていることがすごいうかがえると思います。

 

 

 

そして、19歳のとき、

ロシアの法律官僚になります。

 

法律家プラス公務員、

 

現代だったら、周囲の古い大人が大喜びの

世間体たっぷりの就職ですね!

 

 

生き方に違和感を感じたチャイコフスキー・20歳

 

たしかに、公務員は安定していて、

 

ステータスになる

 

 

ということはこの時代のロシアでも同じでした。

 

 

しかし、チャイコフスキーは思います。

 

 

「なんかちがう・・・」

 

「おれのやりたいことはもっと違うはずだ!!!」

 

 

そして、

 

その違和感はピークに達しました。

 

 

 

音楽院にはいる・チャイコフスキー23歳

 

ほんとうにやりたいことは音楽でした。

 

 

公務員の地位をたった4年で捨てて、

 

稼げるかどうかもわからない音楽の世界へとのめりこんでいきます。

 

入学した音楽院は、

当時設立されたばかりのペテルブルク音楽院。

 

ロシア皇帝じきじきにロシアの音楽文化を発展させようと

設置させました。

 

そこに、ほぼ第1期生として入学します。

 

 

ここで気付くのは、

 

どこにいってもチャイコフスキーは、

 

 

 

周囲の期待を一身に背負ってしまう!!

 

この運命のもとで生きた人間こそがチャイコフスキーです。

 

 

 

そして、

 

25歳で、無事音楽院を卒業して、

首都モスクワで、音楽の先生をはじめました。

 

 

ロシア皇帝が運営する音楽学校の講師ですから、

 

どちらにしろ公務員になりました。

 

 

 

 

のちに、作曲家となって諸国を旅するチャイコフスキーですが、

 

今はまだちょっとしたシティボーイのおぼっちゃまにすぎません。

 

しかし、彼の楽曲には、この時代の彼の考え方も

しっかりと反映されて行きます。

 

 

 

 

 大型新人のデビューです!!

 

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