チャイコフスキーの経歴
活躍した分野は違うが、得意なスキルは似てる チャイコフスキーとブラームスは主な活動分野もかなり違いました。 チャイコフスキーは音楽界ではじめて、 バレエ音楽に芸術性を吹き込んだり、 ロシア民謡をクラシック音楽として取り入れました。 わりと目新し…
チャイコフスキーとブラームスの意外な人間関係とは?? わりと似ている同時代のふたり チャイコフスキーとブラームスは、 どちらも現代のコンサートでも人気の作曲家です。 ブラームスといえば、 だれも受け継ぐ者がいなかった楽聖ベートーベンの後継者とし…
チャイコフスキー「組曲第1番」 彼なりの試行錯誤を反映した曲です。 バレエ音楽のような自由で美しいメロディを研究して、 でも、同時に壮大で形式の整った交響曲にも挑戦して、 どちらも詰め込みすぎた結果、よくわからないぼんやりとした作品になりました…
チャイコフスキーと夫人の奇妙な愛 チャイコフスキーとフォン・メック夫人は、 やたらと熱い関係でしたが、 直接言葉を交わすことはなく、 なんと10年以上、手紙だけの関係でした。 こちらの記事でくわしく紹介しました。 やや引っ込み思案を克服しきれない…
チャイコフスキーの女性関係 チャイコフスキーに大きな影響を与えた女性は、 母親を除くと、 3人います。 オペラ歌手 アルトー 生涯の悪妻 アントニーナ お金と命の恩人 フォン・メック夫人 彼女たちは、 内向的なチャイコフスキーに大きな影響を及ぼしまし…
チャイコフスキーの告白 前回の記事では、 チャイコフスキーとフォン・メック夫人の愛のやりとりを紹介しました。 そして、チャイコフスキーは引っ込み思案な性格を克服し、 ついに心を夫人に開きます。 nmusic.hatenablog.com チャイコフスキー、愛のラブレ…
チャイコフスキーのラブレター チャイコフスキーとフォン・メック夫人の関係は いったいどのようなものだったのか? nmusic.hatenablog.com 一応、手紙では恋人のような面があったことがわかります。 さらに付け加えると、 夫人は未亡人なので、不倫ではあり…
チャイコフスキーとフォン・メック夫人の出会い 過去記事です。 nmusic.hatenablog.com チャイコフスキーは1876年、 36歳のころから 経済的な不安が強くなり、 その一年後には、なかば強引に結婚させられた悪妻に悩み、 nmusic.hatenablog.com ついには自殺…
精神治療=旅行と作曲 チャイコフスキーの精神治療というと堅苦しいので、 うつ病のメンタルヘルスといいましょう。 彼にとって、それは作曲と旅行でした。 彼はこの時期、 メック夫人からの年金を使って、自由すぎる生活をします。 激動の3年間を越えた休息…
激動の3年間をこえたチャイコフスキー チャイコフスキーは フォン・メック夫人の援助と 数々の名曲のおかげで、 結婚生活の苦悩と 自殺のどん底からすこしずつ立ち直っていきました。 いまだに悩みも多いものの、 それを心のなかで飼いならす術や、音楽に昇…
チャイコフスキーがした史上最大の業績 チャイコフスキーは ロシア音楽界でさまざまなナンバーワンの座を得ていて、 ロシアで初の本格的なピアノソナタ「グランド・ソナタ」 nmusic.hatenablog.com ロシアで初の本格的な交響曲 nmusic.hatenablog.com そのほ…
「なつかしい土地の想い出」チャイコフスキー 「なつかしい土地の想い出」は、1878年、 彼が、復活の年38歳のときに書いたヴァイオリンとピアノのための曲です。 このときは、スイスに滞在していて、 ヴァイオリン協奏曲を書き上げているところでした。 nmus…
「ヴァイオリン協奏曲」チャイコフスキー 一言でいうと、 時代がついていけなかった偉大な曲です。 どれくらい進んでいたかは①~③をご覧ください。 nmusic.hatenablog.com チャイコフスキーは 結婚生活から逃れるために、妹の家であるウクライナや、果てはス…
ヴァイオリン協奏曲の絶望からの復活 前回記事で、 絶望からの復活を描いたヴァイオリン協奏曲が まさかの絶望におちいってしまう展開を描きました。 nmusic.hatenablog.com チャイコフスキーはこのとき、 「わたしの想像力がうみだしたこの子(曲)は、 不…
時代が追いついていかない協奏曲たち 前回記事です。 nmusic.hatenablog.com チャイコフスキーの法則みたいなのがあるらしく、 ”協奏曲はさいしょ、かならず認めてもらえない” というのが言われています。 3年前につくった ピアノ協奏曲第1番などはその一例…
チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」 チャイコフスキーは 1878年、38歳までの数年間で 結婚→うつ→自殺未遂→音楽で復活を経験しました。 そして、その体験をもとに ピアノソナタ「グランド・ソナタ」 nmusic.hatenablog.com 「ヴァイオリン協奏曲」を完成…
「グランド・ソナタ」終楽章の聴きどころ チャイコフスキーの実体験にもとづいて書かれた、 絶望から復活のストーリーです。 nmusic.hatenablog.com 楽曲はついに終楽章に突入します。 第4楽章、人生を祝おう! 駆け巡るような音型で構成されるのが、第4楽章…
チャイコフスキー「グランド・ソナタ」のおすすめ聴きどころ チャイコフスキー「グランド・ソナタ」は 彼の絶望からの再生という実体験にもとづいて作曲されました。 彼の人生の一部分を切り取って表したもので、 同じような思いでつくった「ヴァイオリン協…
チャイコフスキー、絶望からの復活 1877年の絶望を乗り越え、 1878年にはチャイコフスキーは 交響曲第4番、「エフゲニーオネーギン」という大曲を生み出します。 そして、実は、そんなチャイコフスキーの再始動を象徴する曲があります。 1878年に完成した、 …
チャイコフスキーの苦悩 nmusic.hatenablog.com 激動の3年間・さいごの復活 nmusic.hatenablog.com 結婚の苦悩があとをひくなか、 思わぬところから救いの手がやってきます。 なんとフォン・メック夫人から経済援助が入るというのです。 彼と夫人は、手紙を…
チャイコフスキーを襲う悲劇 前回記事です。 チャイコフスキーは、「エフゲニー・オネーギン」と 運命的な出会いを果たしますが、 もうひとつ悲劇的な出会いに巻き込まれることになりました。 nmusic.hatenablog.com 世間のイメージは、とんでもない悪妻 187…
「エフゲニー・オネーギン」のあらすじ 前回の記事です。 nmusic.hatenablog.com チャイコフスキーの歌劇 「エフゲニー・オネーギン」は、 自分の存在を無意義に感じる青年、エフゲニー・オネーギンの物語です。 その虚無的な行動から、周囲の人を不幸にして…
「エフゲニー・オネーギン」の魅力 前回記事です。 チャイコフスキーがワーグナーに対抗するためにした工夫を わかりやすくマンガ家や映画にたとえて解説しています。 nmusic.hatenablog.com 今回はチャイコフスキー 歌劇「エフゲニー・オネーギン」の魅力を…
チャイコフスキーがワーグナーに対抗した工夫 前回記事です。 「エフゲニー・オネーギン」を巡って、 チャイコフスキーとワーグナーの戦いを描いています。 今回の記事でも描きます。 nmusic.hatenablog.com チャイコフスキーは ドイツの楽劇王ワーグナーに…
チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」 このオペラは、チャイコフスキーの革新性を表すものでした。 彼の尊敬する音楽家であるグリンカ、シューマン、ビゼーの音楽を取り入れつつも、 それらをすべて混ぜ合わせて、チャイコフスキー独自の薫り高いスタ…
チャイコフスキー「ロココ風の主題による変奏曲」 チャイコフスキー36歳は、 傑作の連続でした。 「白鳥の湖」 nmusic.hatenablog.com 「フランチェスカ・ダ・リミニ」 nmusic.hatenablog.com 「弦楽四重奏曲第3番」 nmusic.hatenablog.com 「スラブ行進曲」…
神曲と出会うチャイコフスキー チャイコフスキーは36歳の夏に、 ワーグナーの音楽祭に出席するために旅にでます。 そして、旅先で偶然みつけた本が 「フランチェスカ・ダ・リミニ」が収録された「神曲」という本でした。 これに感動に、一気にかきあげたとい…
「フランチェスカ・ダ・リミニ」の音楽的魅力 前回記事です。 nmusic.hatenablog.com チャイコフスキーは、 「すべての音楽は標題音楽的だ」と語っていたように、 今回も 文学をよんで感じた感動を、音楽へと表そうとしました。 というよりも、文学を読んで…
チャイコフスキー、幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」 チャイコフスキーは「幻想」という言葉がとっても大好きでした。 なぜかはわかりませんが、 彼の楽曲には幻想と名の付く楽曲が並んでいます。 幻想序曲「ロミオとジュリエット」 幻想序曲「テンペス…
チャイコフスキー、スラブ行進曲 必ず、ウケる民族曲。 リストのハンガリー狂詩曲 ブラームスのハンガリー舞曲集 ドヴォルザークのスラブ舞曲集 有名作曲家が次々と、民族曲をヒットさせるなか、 (関係ないですが、ベートーベン、モーツァルトは トルコ行進…