チャイコフスキーの生涯をわかりやすくまとめた

チャイコフスキーの生涯をわかりやすく解説します。

ヴァイオリン協奏曲③チャイコフスキー・ピアノ協奏曲と同じ運命をたどる

ヴァイオリン協奏曲の絶望からの復活

 

前回記事で、

絶望からの復活を描いたヴァイオリン協奏曲が

まさかの絶望におちいってしまう展開を描きました。

 

nmusic.hatenablog.com

 

チャイコフスキーはこのとき、

「わたしの想像力がうみだしたこの子(曲)は、

不幸にも望みもなく放り出される運命となった」と嘆いています。

 

 

再び絶望におとされたとき、

 

やはり曲のイメージどおり、復活をするのです。

 

 

才能を理解してくれる人はいないのか?

 

これまで、チャイコフスキーについていける才能ある人はいませんでした。

 

 

しかし、

チャイコフスキーは自信満々でした。

 

 ピアノ協奏曲第1番も

絶望から、ドイツ人指揮者に救われ、

世界デビューにまで行きつきました。

nmusic.hatenablog.com

 今回も

おなじような奇跡が起きます。

 

 

ドイツで音楽教授をしていた

ブロツキーというヴァイオリニストです。

 

ブロツキー先生はこの曲をみて、

「すごすぎる傑作だ!!」と思ったのでしょう、

なんと音楽の本場・ウィーンで演奏することを提案してくれます。

 

 

ウィーンの聴衆も理解できなかった偉大すぎる曲

 

初演はウィーンでしたが、

 

なんと初演でだれも感動せず、

「この曲はやはり本物だ!」と確信したのはブロツキー先生だけという状態でした。

 

 

あまりにも時代を先取りしていたのです。

 

 

ブロツキー先生はこのあとも必死になって演奏を続けてくれ、

 

ヨーロッパの人々も徐々にこの曲を理解していきます。

 

 

 

この評判に、さきほど「演奏不可!!」と断言したアウアーも、

チャイコフスキーに謝罪をし、この曲を演奏して広めてくれるようになります

 

 

偉大な才能は時間をかけて、人々に理解されるようになったのです。

まさに、絶望からの復活でした。

 

 

ヴァイオリン協奏曲の魅力とは?

ヴァイオリン協奏曲②チャイコフスキー・苦労の連続だった音楽

時代が追いついていかない協奏曲たち

前回記事です。

 

nmusic.hatenablog.com

 

 

 

チャイコフスキーの法則みたいなのがあるらしく、

 

”協奏曲はさいしょ、かならず認めてもらえない”

 

というのが言われています。

 

 

3年前につくった

ピアノ協奏曲第1番などはその一例ですよね。

 

nmusic.hatenablog.com

 

のちに世界中で大ヒットを記録しますが、

さいしょは、モスクワ音楽院のニコライ先生に酷評されています。

 

時代がチャイコフスキーの才能についていけていなかったのです。

 

 

 

ただ、今回、チャイコフスキー

モスクワ音楽院を辞めています!

 

38歳のとき、

フォン・メック夫人からの経済援助がシコタマ入ってきていたので、

もう教授としての仕事をしなくてよくなっていたのです。

 

 

これは、協奏曲を作曲しても

誰からも何も言われないのでは?

 

 

ヴァイオリン協奏曲も酷評・・・

 

チャイコフスキー

ヴァイオリン協奏曲を

 

当時世界トップレベルのヴァイオリニストと言われていた、

レオポルド・アウアーに見てもらうことにしました。

 

やはりヴァイオリンの才能がありますから、

チャイコフスキーの天才性に気づくでしょう。

 

 

 

評判はどうか?

 

「これはムリ!演奏不可能だよ!」

 

最悪の評価でした。

 

 

そういえば、ニコライ先生も一流のピアニストだったような・・・

チャイコフスキーに最初からついて行ける人は

もはや存在していなかったのかもしれません。

 

 

ヴァイオリン協奏曲も絶望からの復活

 

ヴァイオリン協奏曲①・チャイコフスキー、自殺未遂の体験から作曲

チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」 

チャイコフスキー

1878年、38歳までの数年間で

 

結婚→うつ→自殺未遂→音楽で復活を経験しました。

 

そして、その体験をもとに

 

ピアノソナタ「グランド・ソナタ

 

nmusic.hatenablog.com

 

「ヴァイオリン協奏曲」を完成させました。

 

それよりも少し前に

交響曲第4番」

「エフゲニー・オネーギン」

という傑作を完成させていて、

 

チャイコフスキーうつ病からの復活を物語っています。

 

 

俺が楽器に合わせるのではない、楽器が俺に合わせろ!

 

この曲がすごいのは、

単に楽器の特性や機能を追求したものではないところが特徴です。

 

「ヴァイオリンといったらこんな感じの曲で~」

「ヴァイオリンはこういう音型だったらひきやすくて~」

とか

 

これまでのヴァイオリン協奏曲では、

ヴァイオリンの特徴に合う曲をつくっていました。

 

 

しかし、チャイコフスキーは、

 

 

俺の音楽がヴァイオリンに合わせるのではない!

ヴァイオリンが俺に合わせろ!!

 

という人だったので、

これまでのヴァイオリン奏者にとって

ちょっと非常識な要素ももりこんでいます。

 

 

みんなのことを考えたチャイコフスキー

 

チャイコフスキーは高い音楽性を持っていましたが、

あくまで大衆のための音楽を忘れない人でした。

 

大衆的には、

けっこうあざとくてありがちなメロディが人気になりますが、

 

プロの音楽家からしたら、

気恥ずかしいかったりプライドがゆるさなかったちすることもあります。

 

 

たとえて言うなら、

まじめなクラシックファンが、

人気のアイドル曲に「音楽として認めん!」と言っているような感じですね。

 

しかし、そのヒット曲は、そのメロディで多くの人を幸せな気分にしていますし、

ちゃんと音楽としての役割を果たしています。

 

 

チャイコフスキーはそこらへんを

柔軟にとらえて作曲することを心がけていたのです。

 

 

 

ヴァイオリン協奏曲も絶望に悩まされる

 

 

ピアノソナタ「グランド・ソナタ」③・聴きたくなる!終楽章の聴きどころ

「グランド・ソナタ」終楽章の聴きどころ

 

チャイコフスキーの実体験にもとづいて書かれた、

絶望から復活のストーリーです。

nmusic.hatenablog.com

 

楽曲はついに終楽章に突入します。

 

第4楽章、人生を祝おう!

駆け巡るような音型で構成されるのが、第4楽章です。

 

激しく行き急いでいるようなイメージを持ちますが、

聴いているうちに徐々に本当の顔が見えてきます。

 

 

ロシア風の旋律をふんだんに盛り込み、チャイコフスキーのロシアで生きてきた人生を振りかえります。

 

そして、これまでの人生の中で、よかったことも悲惨な体験もすべて「良かった!!」とチャイコフスキーは思えるようになります。

 

自分の人生を振り返って肯定することができたとき、

人間は強い生命力を持つことができるようになります。

 

 

この激しい音楽は、

感情を爆発させて、「人生なんて、こんなもんでいいんだ!」と

開き直ったような印象を持ちます。

 

 

 

ベートーベンであれば、

苦難を乗り越えて、最後は圧倒的に勝つんだ!!

という音楽にしますが、

 

 

そこを

「開き直っちゃえ!それでいいんだよ~。わ~い、好きなだけやっちゃえ~」」

ってするところが

チャイコフスキーのこの当時の人生訓でした。

 

 

交響曲第4番と同じ発想ですね。

 

nmusic.hatenablog.com

 

 

 

科学的にも証明されつつあるチャイコフスキー思考

実は、この開き直りは

最近、心理学の世界でうつ病にならないようにするための思考法として

紹介されることがよくあります。

 

アドラー心理学の「嫌われる勇気」などはその好例です。

 

詳しい説明はまた今度しますが、

チャイコフスキーのたどり着いた答えは

案外、現代社会を先取りしていたのかもしれません。

 

 

ベートーベンのようなカッコよさはないですが、

現代社会にはチャイコフスキー思考があうようです。

 

 

 

ピアノソナタ「グランド・ソナタ」②・聴きどころ第1楽章~第3楽章

チャイコフスキー「グランド・ソナタ」のおすすめ聴きどころ

 

チャイコフスキー「グランド・ソナタ」は

彼の絶望からの再生という実体験にもとづいて作曲されました。

 

彼の人生の一部分を切り取って表したもので、

 

同じような思いでつくった「ヴァイオリン協奏曲」と並び、

非常に思い入れの深い作品となっています。

 

一番の聞きどころは、

やはりチャイコフスキーの得意技のひとつ「対照」でしょう。

 

 

「幸福と疑い」

 

「躊躇と試練」

 

「絶望と再生」

など、

明るい未来を信じるチャイコフスキー

その前にたちはだかる試練を対照的に描いていきます。

 

 

第1楽章、幸せを信じろ!

 

とにかく力強い、パワフル。

 

押して押して押しまくる曲調です。

苦難を強調するといったわけではなく、

 

幸福はかならず訪れるんだ!という願望や希望を強めていきます。

 

ピアノ演奏的にも高度な技巧が要求される楽章で、

よほどフクザツな気持ちを表現しようとしていたのでしょう。

 

 

第2楽章、苦悩と絶望への招待

 

ムードが一変して、瞑想的な音楽になります。

 

第1楽章との著しい対照が聴きどころです。

 

チャイコフスキーの幸せになる決意の前にたちはだかる苦悩。

聴衆は、その抗いがたい苦悩に直面します。

 

他の楽章は、朗らかなト長調ですが、

この楽章だけは、ホ長調で悲愴な展開をしていきます。

 

第3楽章、復活を用意する

 

チャイコフスキーこだわりのスケルツォです。

 

軽快で朗らかな楽想。

これが何を表しているか、はっきりとしたものはわかっていませんが、

 

この第3楽章でチャイコフスキーは、

第4楽章の復活に備えて、エネルギーを蓄えていきます。

 

 

そして、生命力の詰まった第4楽章へ

 

ピアノソナタ「グランド・ソナタ」①・チャイコフスキー、ロシア初のピアノ大曲

チャイコフスキー、絶望からの復活

1877年の絶望を乗り越え、

 

1878年にはチャイコフスキー

 

交響曲第4番、「エフゲニーオネーギン」という大曲を生み出します。

 

そして、実は、そんなチャイコフスキーの再始動を象徴する曲があります。

 

1878年に完成した、

ピアノソナタ「グランド・ソナタ」と

「ヴァイオリン協奏曲」です。

 

前回記事です。

 

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チャイコフスキーの復活を印象付けた音楽

 

チャイコフスキーは結婚生活やお金の悩みから、

長い長いうつ病にかかってしまいます。

 

しかし、フォン・メック夫人の援助などにより復活、

 

作曲活動を再開できるまでになりました。

 

そんなチャイコフスキーの再始動を印象付けた曲が、

1878年に完成させた「グランド・ソナタ」です。

 

 

音楽でうつ病を克服

 

彼は、この「グランド・ソナタ」に集中したことで、

良い意味でふっきれることができ、うつ病を乗り越えることに成功します。

 

そんなたくましいほどのエネルギーと、強い生命力、そして、熱意のつまった壮大な

ピアノソナタに、

彼は人一倍の思い入れを抱いていました。

 

 

同時期に作曲された「ヴァイオリン協奏曲」も同様な思いが詰まっていて、

「絶望からの復活」というチャイコフスキー自身の体験をもとにつくっています。

 

チャイコフスキーの言葉でいうと、

「再生と幸福への夜明け」。

 

 

「グランド・ソナタ」は、英雄的で勇ましい響きと激しい闘争をもっている一方で、

ヴァイオリン協奏曲は、より幸福とは?といった点に重きを置いているようです。

 


「グランド・ソナタ」のききどころ

 

1878年・苦悩を乗り越えたチャイコフスキーの栄光

 チャイコフスキーの苦悩

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激動の3年間・さいごの復活

 

 

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結婚の苦悩があとをひくなか、

 

思わぬところから救いの手がやってきます。

 

 

なんとフォン・メック夫人から経済援助が入るというのです。

 

彼と夫人は、手紙をよく交換する仲良しでした。

 

 

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そして、チャイコフスキーが財産がないばっかりに

 

音楽院の仕事でストレスを抱え、

財産目当てで結婚しなければならないことを悲痛に思います。

 

というよりか、

チャイコフスキーの作曲活動が途切れてしまったことを残念に思っていました。

 

「金は送るから、すばらしい音楽をまたつくってよ!!」

 

夫人はチャイコフスキーにそう声をかけたのでしょう。

 

 

これに勇気づけられ、チャイコフスキーは復活します。

 

 

 

そして、手に入れたお金で諸国をまわる旅に出て、

もういちど自分を見つめ直しにいきます。

 

ついに大曲を完成

 

ついに交響曲第4番と「エフゲニー・オネーギン」を完成させます。

 

 

自殺を図るほどのどん底で紡ぎ続けた傑作たち。

 

チャイコフスキーは自信満々でした。

 

 

曲の評価と関係なく、チャイコフスキーは自信満々

 

交響曲第4番の評価はこちら!

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「エフゲニー・オネーギン」の評価

 

 

ロシア近代文学の開祖とされるプーシキンの「エフゲニー・オネーギン」の、チャイコフスキーによるオペラ化は、当時のロシア文壇の大物たちからも大きな関心を寄せられる出来事となりました。

 

作家たちの中でとりわけ音楽に造詣が深いツルゲーネフという人は、

 

チャイコフスキー音楽に関心のある文豪トルストイ

 

「『エフゲニー・オネーギン』は……疑いの余地なく、素晴らしい音楽です。抒情的旋律的部分は特によろしい。しかし、なんという台本でしょう! いいですか、登場人物に関してプーシキンが綴った詩行が、人物本人の口から発せられている

 

プーシキンの台本は、

チャイコフスキーのすばらしい音楽をだいなしにしているのでは?

 

と、言っています。

 

 

文化人から高い評価を受けたこの作品は、

 

のちにロシア皇帝アレクサンドル3世から絶賛されます。

まさに出世作のひとつです。